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2016年3月15日 (火)

仏教と政治―史的総覧(連載第2回)

一 初期仏教団と政治

原初仏教団の創立と布教
 シャーキャ国のガウタマ・シッダールタ公子、すなわち釈迦の出家動機の宗教的な説明としてよく知られている逸話として、「四門出遊」の伝承がある。すなわち公子が居城の東西南北の四つの門から郊外に出かけた際、各門の外で老人、病人、死者、行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにして、苦諦に対する目を開き、出家を決意したという話である。
 これは他の宗教でも見られる開祖美化譚の一種であり、より世俗的に解すれば、当時のアーリア人社会を支配したバラモン教―後のヒンドゥー教―の厳しい身分差別制度やその堕落を批判する新興宗教の潮流が起きており、大国の属国公子の身分に限界を感じていた若き公子もそれらに感化され、出家に至ったと思われる。
 このように既成宗教、あるいはそれを前提した社会制度に対する反発を核として成立する経緯は、大宗教ではよく見られる現象であり、既成ユダヤ教への批判に端を発したキリスト教や、ユダヤ‐キリスト教への反発を動因としたイスラーム教にも共通している。そのため、大宗教は創始時には危険視され、弾圧されたものも多い。
 仏教の場合は、開祖の貴種身分の出自を反映して、三大宗教の中では最も穏当な出発をしている。少なくとも、釈迦存命中に仏教が政治的に弾圧された形跡はない。ただ、釈迦の父シュッドーダナ公は釈迦の出奔と出家に当初難色を示し、帰城を求めたが、最終的には許し、身辺警護を兼ねて最初の信者となる五人の従者を付けたとされる。
 最初の仏教団細胞は釈迦にこの五比丘を加えたわずか六人の宗教サークルだったことになるが、苦行を否定する釈迦の「優しい」説法は人気を博し、布教を開始した仏教団は急速に信徒を殖やしていく。こうした急成長は教団の布教戦略の巧みさの賜物でもあった。
 仏教団が重点的な布教対象としたのがガンジス河中流域であったが、この地域にはシャーキャ国が従属したコーサラ国の他にも、マガダ国のような強力なアーリア部族国家がひしめいており、まさに当時のインドの政治経済上の中心地であった。
 とりわけ強力なマガダ国の布教には力を入れ、ビンビサーラとその子アジャータシャトルという二代の王を仏教に入信させることに成功している。釈迦はまさに権力中枢に布教照準を定めたのであり、それには彼が庶民でなく、貴種身分の出であったことが大いに助けとなったであろう。このように、仏教はそのイメージに反して、その出発点から権力志向的な側面が強いことは留目すべき特徴である。

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