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2015年10月12日 (月)

体育の非

 行政改革の時代に逆行して、二つの行政機関が新設された。一つは防衛装備庁、もう一つはスポーツ庁である。このように防衛分野と体育分野で同時(同日)の新設があったのは決して偶然ではない。元来、国防と体育は密接に関連する。なぜなら、強兵を育成するには国民の運動能力向上が欠かせないからである。
 スポーツ庁は単に五輪対策の暫定機関ではなく、常設行政機関であり、学校体育まで所管する。かねて筆者は学校教育では定番となっている体育の全員必修制に疑問を持ち、体育は任意選択制とするか、せめて個別競技を課さない健康体育に転換すべきと考えてきたが、現状は逆に競技体育の強化に向かおうとしているようである。
 体育の強制は運動の苦手な生徒にとっては、しばしば屈辱の生き地獄である。体育競技での失敗・失策がいじめの引き金になることもある。体育は音楽や美術と並び、個人の適性・志向に依存する度合いが高い分野であるので、合理的に考えて全員一律の強制はばかげているのである。
 だが、近年、武道必修化を含め、政府が音楽や美術以上に体育にのめりこむのは―「芸術庁」を新設する話は聞かない―実際、再び富国強兵的な発想が政府部内で台頭してきていることと無関係ではないだろう。
 ちなみに、今日は体育の日。これは前回の1964年東京五輪の開会日を記念した祝日だというが―ならば「五輪の日」でよい―、このような世界にも例のない内容空疎な珍祝日は迷惑千万、廃止すべきであると考えている。ついでに体育強制の廃止も願って、体育の非としたい。

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