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2015年8月 1日 (土)

イラクとシリア―混迷の近代史(18)

seven シリア内戦

night内戦の膠着
 シリアにおける「春」は2011年の初頭から静かに始まった。シリアには先行した「ダマスカスの春」の余波が残されており、バッシャール・アサド政権も民主化を一定は受け入れ、野党とも対話する姿勢を示していた。
 3月以降、反政府デモが拡大すると、政権は恒常的な非常事態令の撤廃や憲法改正、政党結成の自由化などの民主化措置を次々と打ち出すが、反政府デモはアサド体制そのものの打倒に向かっており、大衆行動は終息しなかった。
 政権による弾圧が増し、死傷者も増える中、7月にはシリア軍を離脱した将校により反政府武装組織・自由シリア軍が結成される。これ以降、シリアは政府軍と反政府武装組織との事実上の内戦に突入していく。
 自由シリア軍は世俗主義的な武装組織であったが、アサド家支配体制の打倒ということ以外に明確な理念を欠いた寄り合い所帯の軍事組織であった。しかし、イラクに続いて社会主義のバース党支配体制そのものを打倒したい欧米はこれに飛びつき、武器供与の支援も始めた。
 こうした欧米の干渉が膠着状態をひき起こした。アサド家支配体制は二世代にわたる世襲政治の過程で軍部・治安機関に強固な基盤を築いており、欧米が想定したほどに脆弱ではなく、内戦渦中の14年に行なわれた大統領選でもバッシャールは三選を果たし、父親同様の長期政権化の構えを見せている。
 対する自由シリア軍は内紛や連携するイスラーム系組織との確執などもあり、アサド家に忠実な空軍(前大統領の出身)に強みがあり、自国領土内でもなりふり構わず無慈悲な空爆作戦を展開する政府軍を圧倒することは今日までできていない。
 こうしたシリア内戦の膠着状態に付け入って急成長してきたのが、イスラーム国集団であった。この集団の本籍はイラクであるが、かれらが14年に入って急速に勢力を拡大した背景には、シリア内戦に参画して戦闘能力を向上させ、シリア側イスラーム系組織から武器・戦闘員の供与を受けたことがあると見られている。
 イスラーム国はイラクとシリアをまたにかけ、両者を統合する地政学的地図を描き、現時点ではシリア北部のラッカを事実上の首都とするまでに至っているが、こうした「戦果」はシリア内戦なくしてはあり得なかったと言ってもよいだろう。
 「アラブの春」はさしあたり成功した当事国でも多くの犠牲を出したが、シリアではとりわけ悲惨な失敗が待っていた。春から冬への急転である。この間、シリア難民は400万人を越えている。
 シリア内戦を出口の見えない袋小路に追いやらないためには、シリアの現実を見据え、バッシャール政権下で遅々としながらも進められてきた改革を平和的に後押しする支援が必要だった。今となっては過去形だが、これを現在形に戻すことはまだ不可能ではない。(連載終了)

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