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2015年8月 6日 (木)

思想統制復活の危惧

 文科省・中教審は次期指導要領改定案で、近現代史中心の「歴史総合」と「公共」を高校社会科必修科目に新設する方針を示した。メディア上では論評抜きの小さな報道にとどまっているが、これは戦後教育の重大な転換点になるかもしれない。
 筆者の世代の歴史教育は先史時代からおもむろに始めて、もたもたと進み、最後の近現代史は時間切れに終わることが普通だったし、公民教育では未成年者に公民権はないという前提で、政治経済の諸制度をとおりいっぺん概観する程度のものだった。
 こうした方針がどこまで意図的だったかは不明だが、少なくとも結果的には、皇国史観と国体護持を洗脳的に注入した戦前の思想統制教育とは逆に、思想的なものから生徒を隔離する思想漂白が戦後教育の基調となっていた。
 しかし、今般の新方針では近現代史を正面から教え、18歳選挙権を前提により踏み込んだ政治教育を施そうとしている。表面的には歓迎すべきことに見えるが、そうは思えない。ここ10年ほどの教科書検定の潮流を見る限り、「歴史修正主義」や愛国主義の影響が排除されるとは考えにくいからだ。
 要するに、支配層は従来の「思想漂白」を再び「思想統制」の側に引き戻そうとしている気配が感じられる。「思想漂白」は国民を無思想に保つことで支配の安定を維持する手段として有効だったが、それでは飽き足らず、改めて「思想統制」で体制の再構築が企てられているのだ―。
 このような危惧が思想漂白世代の取り越し苦労かどうかは、いずれ文科省が示すはずの新教科の詳細内容とそれに基づく教科書検定結果を見れば、はっきりするだろう。

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