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2015年7月10日 (金)

「いじめ対策」の無効性

 岩手中学生の自殺事件をめぐり、生徒が担任教師との交換日記に書き付けていたいじめによる自殺サインを教師が無視した疑いありということで、担任教師や学校への非難が強まっている。テレビ番組でも一昨年に立法化されたいじめ防止対策推進法が現場で生かされていないことを指弾する評論家の叱声もあった。
 しかし、私に言わせれば、いじめ問題が一本の法律で解決するという発想が浅薄だし、もっと言えば対策法自体もごまかし立法である。日本では、立法化が行政なり学校なりの担当機関が何かを対策しましたというアリバイ作りの手段であることがよくある。いじめ対策法もその一つであり、現場でもそうした法律の正体は看破されているから、真剣には受け止められていないのだろう。
 以前から主張していることだが、自殺を誘発するような深刻ないじめは、子どもの領分における差別であり、一本の法律では解決がつかない問題である。担当教員を責めたところで、そもそもいじめの本質に関する認識が教育界全体に欠けているのだから、今度もまたその場しのぎの対策と定型マニュアル化されたお詫び措置で手仕舞いとなることは必至である。教育界がいじめ認識を根本から再考するしかないが、教育界の官僚体質には多くを期待し得ない。

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