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2015年4月12日 (日)

大学にも触手が

 国旗・国歌の公立小中高校行事での強制を追求してきた政府がついに国立大学にも強制しようと乗り出してきた。とはいえ、大学の場合は「大学の自治」という憲法上のいまいましい名分があるため、通達などを通じた直接の統制はできず、非公式な「要請」という術策による。
 しかし、近年は学長の権限強化や研究資金の配分競争などを通じて、大学の自治を骨抜きにし、政府の間接統制を強める政策が強まっている時勢であるから、「要請」の圧迫効果は小さくない。実際、「要請」を受け入れない大学への研究資金配分を減らすなどの冷遇措置で圧力をかけることは十分に可能である。
 大学のような自治権を持たない小中高を超えて、自治権を持つ大学にまで政権が手を伸ばしてきたのは、近年の歴史逆行的な流れが一線を越えようとしていることを意味する。戦前もそうだったように、権力が大学に触手を伸ばしてきたときは、全体主義化の重要な兆候である。
 今のところ、さすがに政府も私立校には小中高を含め統制を手控えているようだが、今後は安心できない。私立でも学校教育法上の学校として認可され、私学助成の対象である限り、憲法に言う「公の支配」を受けているとされる以上、大学と同様に国旗掲揚・国歌斉唱を「要請」できるという屁理屈もひりだせるからだ。
 権力にすり寄るマスメディアと同様、私立校が自主的に権力にすり寄っていく可能性も含め、全体主義的潮流は今後、私立も巻き込んで激流になるだろう。そういう流れに乗って育成された生徒・学生たちが社会の中心になる30年後にはどんな社会になっているか、想像するだに恐ろしい。学校教育の大きな影響を受けない不登校児や落第生は、かえって救いである。

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