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2015年1月11日 (日)

権利としての不登校

 昨年発表された2013年度のデータによると、全国の不登校の小中学生は6年ぶり増加に転じて約12万人という。ただ、これは文字どおりに不登校の児童生徒数であるから、不登校予備軍的な「学校被ストレス者」は含まれていない。
 筆者の学齢期には不登校児はまずいなかった。学校は絶対的に登校すべきものであり、理由のいかんを問わず不登校は怠慢とみなされていたからだ。その後、不登校が全国に広がり、現在では、教育当局も渋々ながら不登校を黙認せざるを得なくなっている。それでも、当局は不登校減少策という発想をやめてはいない。
 おそらく、その根底には「教育の義務」という憲法にも定められた原理原則を固守しようとする官僚的形式的発想があるのだろう。しかし学校環境が子どもに与えるストレスの大きさを考えれば、「教育の義務」を形式的にとらえることはできない。ストレスからの解放策として、不登校をある種の超法規的な避難権―学校からの避難―として承認するべきである。
 従って、不登校減少策という発想もやめるべきである。教育の義務の履行は、学校という制度だけを通して行われるものではなく、複数の教育のルートがあってよいし、もっと言えば、学校という一種の強制収容的な制度が教育の場として真にベストなのかどうかは、根源的な疑問に付してもよいほどなのである。

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