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2014年8月 4日 (月)

赤のアメリカ史(連載第17回)

五 レッドパワー運動(続き

民族自決政策へ
 レッドパワー運動の急進化は直接的な成果を挙げることなく、1973年のウーンデッド・ニー占拠事件を機に退潮していくが、直接行動は間接的には司法や行政を動かしていく。
 72年、合衆国最高裁判所は「ブライアン対イタスカ郡」事件で、インディアンの部族自治を明確に認める判決を出した。この事件は、ミネソタ州のインディアン居留地に住むオジブワ族のブライアン夫妻が購入した移動式住居に対する郡の課税の取り消しを求めた裁判であった。最高裁は、インディアン居留地に居住するインディアンの財産に対し、連邦議会の授権なしに州が課税する権限はないと判断したのである。
 本来、合衆国憲法第1条第8項の「通商条項」に基づき、連邦議会の授権なしに州が保留地のインディアン部族やインディアン個人の財産に課税することはできないというのが通説的な見解であったところ、最高裁はこの見解を改めて明示することで、インディアン部族の自治権を承認したのである。
 レッドパワー運動が急進化したこの時期の政権の主は共和党のニクソン大統領であり、「ブライアン」判決当時の最高裁長官ウォレン・バーガーを送り込んだのも、ニクソンであった。ニクソンは保守主義者ではあったが、教条的ではなく、現実的な保守主義者であったことが、インディアン政策でもプラスに働いた。
 ニクソン政権は、ウーンデッド・ニー事件では妥協せず武力鎮圧方針を採ったが、実力闘争にはこうした武断的手法で応じる一方で、部族解体につながる「終了」政策を「終了」させ、部族の復活と民族自決を認める宥和姿勢をも示した。これにより、1950年代から60年代にかけて100以上の部族が絶滅宣言を受けてきた流れに一応の歯止めがかかることになった。
 ニクソンはインディアンの民族自決政策を明確に打ち出した最初の大統領となり、この政策はニクソンがいわゆるウォーターゲート事件で失墜した後、再び揺り戻しに直面しても、基本的には今日まで40年間、合衆国のインディアン政策の基本路線として定着している。
 ただ、ニクソンの「自決」政策は対外政策で彼がアメリカの同盟国に適用した「自立」政策と軌を一にしており、当時財政経済危機に直面していた合衆国の負担を軽減するという現実主義的な動機からのものであったし、現在のインディアン政策においてもそのような動機は変わっていない。ゆえに、言葉の真の意味での民族主権が確立されたとは言えない。

「ブライアン」判決は意外なところで効果を発揮した。インディアンの賭博産業である。元来不毛な居留地にあって州に介入されない部族自治権の範囲内で経営できる産業は、賭博のような娯楽産業くらいしかないため、カジノをはじめとする賭博場設立の動きが全米のインディアン部族に広がり、今や500施設近くにのぼるという。賭博を唯一の収入源とする部族も多い。こうした賭博依存経済は、インディアン部族の経済的な自立が不十分なことを物語っている。レッドパワーの成果が賭博場だったとすれば、少々複雑である。

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