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2014年8月11日 (月)

赤のアメリカ史(連載最終回)

跋 レッドパワー以後

運動の多様化
 1970年代半ば以降、レッドパワー運動が収束すると、インディアン運動も新たな多様化の時代に入る。その嚆矢となったのは78年、インディアン事務局による一方的な土地開発への抗議として、数百人のインディアンや支援の白人らがかつて占拠運動の地となったアルカトラズ島からワシントンまで行進した「ロンゲスト・ウォーク」である。
 近年は、地元インディアン部族の意向を無視した開発計画や地下核実験に対する差し止め訴訟、実態に合わないインディアン像をあしらったインディアン・マスコットの使用中止運動など、様々な課題ごとの文化的・非暴力主義的な運動が展開されていくようになる。
 これらの運動は、かつての急進的な占拠運動に比べると穏健化されており、インパクトは限定的であるが、70年代以降、民族自治がまがりなりにも認められるようになった情勢変化を反映して、インディアンの地位のいっそうの向上を目指す新しい形態の運動である。

「感謝」と「謝罪」
 白人の側にも、遅ればせながら意識の変化は見られる。中でも象徴的な出来事は88年、当時のレーガン共和党政権下の連邦議会による「合州国憲法成立に対するイロコイ部族連合の貢献を認め、憲法で定められたインディアン諸部族と合州国との政府間関係を追認する両院共同決議」である。
 これは18世紀の憲法制定過程でイロコイ部族連合の政治制度が参酌されたとの説に立って、その貢献に謝意を述べるとともに、インディアン諸部族の部族自治を改めて確認する内容の決議であり、ニクソン政権以来の合衆国としてのインディアン政策の基本指針を中間総括したものとして重要である。
 しかし、「感謝」はあっても過去の民族絶滅・浄化政策に対する謝罪はなかったところ、クリントン民主党政権下の2000年になって、当時のインディアン事務局副局長による「謝罪」が初めて行われた。しかし、これは一行政機関のナンバー2―しかも、彼自身インディアン部族出身―による局所的な謝罪声明にすぎず、合衆国の国家意思として示されたものではなく、真の謝罪とは言い難い。

現状と展望
 民族自決が理念としては定着したとはいえ、永年にわたる民族浄化・部族解体政策の影響は大きく、現在インディアン人口は300万人弱、人口の1パーセント前後という極少数派にすぎない。
 多くの居留地は貧しく、スラム化している。失業率や自殺率とも全米平均をはるかに上回り、白人から摂取した飲酒習慣が広がって以来、アルコール依存に陥る傾向も強い。合衆国においてインディアンは不可視の最貧困層を形成している。
 部族の経済的自立手段は観光やそれと結びついた賭博となり、商業的モノカルチャーも生じている。こうした経済的不公正がインディアン問題の新たな課題である。

87年には、強制移住を象徴するチェロキー族の「涙の旅路」をたどる「涙の道国立歴史街道」が指定された。これは歴史的な意義を持つルートを記念して連邦法で指定される「国立歴史街道」制度の一環であり、その第一号指定はまさにインディアン絶滅政策の根拠となった「マニフェスト・デスティニー」に沿って西部白人開拓者がたどったルートであった。このように、インディアンの涙の道が白人開拓者の道―インディアンにとっては侵略の道―と同列に扱われているところに、本質的には放棄されていないアメリカの白人中心史観が顔をのぞかせている。このような歴史観が克服された時、新たなアメリカの歴史が拓かれるだろう。

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