« 私家版松平徳川実紀(連載第14回) | トップページ | 抵抗の東北史(連載第5回) »

2014年7月27日 (日)

赤のアメリカ史(連載第16回)

五 レッドパワー運動(続き)

闘争の急進化
 従前のロビー活動的なインディアン運動がレッドパワー運動に転換されると、闘争は必然的に急進化していくこととなった。特に、占拠という形態の抗議活動が広がる。嚆矢は1969年11月のアルカトラズ島占拠闘争であった。
 これはモホーク族の活動家リチャード・オークスをリーダーとするインディアンの活動家グループがサンフランシスコ沖にある無人のアルカトラズ島を占拠し、インディアンへの土地の返還を認める部族と合衆国政府間の条約の再確認を要求して立てこもった出来事である。占拠は1年以上に及び、島には最大で数百人の活動家が参加して評議会自治を行い、一種の革命的な解放区の様相を呈した。
 これに対して、合衆国政府はかれらの要求を拒否し、71年6月、治安部隊を投入して強制排除を断行した。所期の成果は上がらなかったが、この闘争は内外で広く報道され、インディアン問題の存在を印象付ける効果を持った。
 これをきっかけとして、以後70年代半ば頃にかけて、大小様々な占拠運動が全米で繰り広げられる。占拠対象は米軍・沿岸警備隊基地からインディアン事務局ビルにまで及んだ。こうした急進的闘争のハイライトは、73年2月から3月にかけてのアメリカインディアン運動(AIM)のメンバーらによるウーンデッド・ニー占拠闘争であった。
 この闘争の引き金を引いたのは、サウスダコタ州内でインディアン住民が白人に殺害されるも、犯人の白人はいずれも軽い罪での起訴にとどめられるという人種差別的な司法処理に対する抗議であった。これに当時地元居留地の部族評議会を牛耳り、横暴な腐敗政治を行っていたリチャード・ウィルソン議長への抗議が加わった。
 活動家たちは交渉で解決できないと悟るや、ウーンデッド・ニーでの蜂起を計画した。ウーンデッド・ニーと言えば、19世紀の民族浄化戦争を事実上終結させる契機となった政府軍による虐殺事件があった象徴的な場所である。
 活動家たちは町を武装占拠し、まさに解放区として、一時は国家宣言を出すところまで急進化した。事件は全世界に報道され、南米のインディオ先住民たちからの連帯のほか、白人側からもマーロン・ブランドやジェイン・フォンダのようなリベラル派の俳優が支持を表明した。
 これに対して、政府は徹底した武力鎮圧の方針で臨み、73年5月までに制圧、占拠を解除した。鎮圧作戦でのインディアン側死者は2人であったが、多数の活動家が起訴され、闘争賛同者の不法な殺害も続いた。また闘争後も議長職に居座ったウィルソン議長による報復テロが行われ、100人以上の反ウィルソン派部族民が殺害された。
 こうしてウーンデッド・ニーは再び悲劇の場所となった。同時に、およそ一世紀前の虐殺事件がインディアン戦争を終わらせたのと同様、急進的な占拠闘争を収束させる転換点ともなった。インディアンの蜂起に対して圧倒的な物理力をもって対処する合衆国政府のやり方は、100年間変わっていなかったのだ。

インディアン闘争が急進化した時期は、アフリカン解放運動の分野でも、ブラックパンサー党のような急進的な運動が隆盛となった時期と重なる。全般にアメリカ内外の社会運動が急進化した時期でもあった。インディアン運動にしてみれば、新たな形態での「インディアン戦争」の再来であったが、政府側もかつての軍の代わりに連邦捜査局(FBI)のようなより洗練された物理装置を投入して、鎮圧に出たのだった。ちなみに、当時インディアン運動が多用した占拠という闘争手段は、今日「ウォール街占拠運動」のような社会運動の中で再び活用されている。

« 私家版松平徳川実紀(連載第14回) | トップページ | 抵抗の東北史(連載第5回) »

〆赤のアメリカ史」カテゴリの記事

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30