無料ブログはココログ

« 私家版松平徳川実紀(連載第13回) | トップページ | 抵抗の東北史(連載第4回) »

2014年7月20日 (日)

赤のアメリカ史(連載第15回)

五 レッドパワー運動

インディアンの団結
 インディアン・ニューディールが戦後、トルーマン政権下の「フェアディール」における「終了」政策によって後退・反動化して以降、部族認定の取り消しが相次ぐとともに、56年にトルーマン民主党政権の政策を引き継ぐ形でアイゼンハワー共和党政権が制定したインディアン再配置法により、都市部に流入して下層民化するインディアンが増大した。
 このRelocation Actと銘打たれた新法は、一世紀前のRemoval Actとは微妙に言葉使いが違ったが、インディアンを居留地へ囲い込む代わりに、今度は居留地も追い出し都市スラムへ囲い込もうというのだった。
 居留地さえ喪失したインディアン社会は消滅の危機に瀕した。このことが、伝統的な部族対立を超え、大同団結する機運をもたらした。
 インディアンの部族横断的な団結の先駆としては、1911年にオハイオ州で結成されたアメリカインディアン協会(SIA)があった。この団体は主にインディアン寄宿学校で育成されたインディアンの中産知識階級の運動家らが結成したもので、同化主義的な観点に立ちつつ、ロビー活動を通じてインディアンの権利を擁護しようという穏健主義の団体であった。
 この団体は30年代のニューディール期には一応役割を終えて解散するが、戦時中の44年、改めてアメリカインディアン民族会議(NCIA)が設立された。これはSIAと同様、ロビー活動を通じた穏健主義の団体であるが、保留地の部族会議代表で構成され、首都ワシントンに本部を置くより強力な利益代表組織として活動した。
 こうした穏健主義の権利擁護運動は保守的な白人社会でも一定受け入れられ、ケネディ政権による「終了」政策の再転換と、それを継いだジョンソン政権下でのインディアン公民権法の制定という政策・法制面の成果につながったが、インディアン問題に無関心な一般大衆の関心を引くことはなく、保留地の貧困や都市スラム街のインディアンたちの生活は一向に改善されないなど限界にも直面していた。
 そうした中で、NCIAの穏健な活動方針と部族長老支配に満足しない若者たちを中心に61年、全米インディアン若者会議(NIYC)が結成された。かれらは権利擁護ではなく、より積極的な民族自決を求めてデモや占拠などの直接行動を手法とした。
 このような新潮流が68年、アメリカインディアン運動(AIM)の結成に結実する。今日でも全米最大級のインディアン団体として活動するこの運動体は、60年代にアメリカ黒人の間で勃興したブラックパワー運動と共振する形で、直接行動的なレッドパワー運動をリードしていくのである。

アメリカインディアンは人種的にはほぼ均質的なモンゴロイドでありながら、広い大陸に分散して部族社会を形成したため、500を超える多岐の部族に分かれ、部族ごとに言語・習俗も異なっていることから、歴史的に大同団結が不得手であった。かれらは、白人侵入者とのみならず、部族同士でもしばしば戦闘し合い、そうした部族対立を白人勢力側に利用され、容易に分断支配されてきたことも、窮地に追いやられる要因であった。20世紀後半になると、ようやく部族対立が止揚され、近代的な政治・社会運動の影響も受けつつ、アメリカインディアンが一つの潜勢力として勃興してきたのである。その背後では、白人側の文化人類学的な知見の進歩も寄与していただろう。

« 私家版松平徳川実紀(連載第13回) | トップページ | 抵抗の東北史(連載第4回) »

〆赤のアメリカ史」カテゴリの記事

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31