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2014年7月13日 (日)

赤のアメリカ史(連載第14回)

四 保護政策への転換(続き)

インディアン・ニューディール
 20世紀初頭以降の「人道主義」の仮面を着けた保護政策は、ドーズ法の破壊的効果を賞賛したセオドア・ローズベルト大統領の従弟に当たる第32代大統領フランクリン・ローズベルトのニューディール政策の下で転機を迎えた。
 1934年に制定されたインディアン再組織法がそれである。この連邦法によりドーズ法は廃止され、同化政策が転換された。部族は政治的な自治と土地の自主的な管理が認められるようになった。これは単に伝統的な部族共同体の復活にとどまらず、部族が独自の憲法を制定し、部族評議会を通じて合衆国や州政府と交渉できるようにする近代的な政治制度の導入も促進した。
 この法律はすでに個人に渡った土地の返還までは認めなかったが、合衆国政府には私有地の買収・返還権が与えられ、これによって同法施行から20年で計8000キロ平方の土地が部族に返還された。
 また州政府にインディアンの教育や医療に補助金を支出する権限を付与するジョンソン・オマリー法も、インディアン・ニューデールの一貫を成す新法であった。これは、福祉的浄化政策とは異なり、まさに福祉政策そのものであった。
 こうした合衆国とインディアン部族間のまさしくニューディール=新協約を主導したのは、ローズベルトによって任命されたインディアン事務局長ジョン・コリアーであった。彼は33年から45年までの政権期間中、一貫して局長の座にあって、新法の適用を主導した。
 白人のコリアーは近代的なソーシャルワーカーの元祖的な存在でもあり、ニューメキシコ州のインディアンの状況を知ったことをきっかけに、危機に瀕するインディアン部族社会と文化を救うため、1923年にはアメリカインディアン防衛協会を設立してドーズ法撤廃のロビー活動を展開する。それがリベラルなローズベルト政権の成立によって結実し、コリアーも政策遂行の中心者となったのである。
 このような浄化‐同化から保護への政策転換は、伝統的なアメリカでは希薄だった福祉国家的な社会思想に基づくニューディール政策の一環を成すものであって、それゆえに同政策と運命を共にするはずのものであった。
 12年続いたローズベルトの長期政権が終焉すると、同じ民主党後継のトルーマン大統領は「フェアディール」を掲げ、ニューディール政策の保守的な修正を図った。そうした中で、部族と政府の特殊な関係を「終了」させるという政策再転換が現れる。
 これはインディアンを完全な市民(労働者)として都市部へ「再配置」するという意図を伴っており、強制同化とは際どく一線を画しながらも、部族共同体の解体を再び促進する政策であった。
 この政策反動は、ニューディール期の再組織法が所詮は白人政府によるインディアン「保護」という受動的な観点からなされ、インディアンの主体的な民族自決に基づくものではなかったことの結果であった。

インディアン・ニューディールの時代は、第二次世界大戦とも重なる。大戦には、多くのインディアン部族民がアメリカ兵として動員された。かれらが特に貢献したのは、コードトーカーとしての役割であった。特にナバホ族のコードトーカーが活躍した。一般にインディアン部族語は英語より複雑な文法構造を持ち、かつ外国人でこれを解する者はほとんどいなかったことから、暗号通信用語に最適であったのである。コードトーカーの存在は1968年の機密解除で明らかとなった。それから40年後の2008年、ブッシュ政権はコードトーカー認知法を制定し、存命中のコードトーカーへの顕彰を正式に法制化した。

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