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2014年6月 1日 (日)

赤のアメリカ史(連載第7回)

二 白人侵奪国家の樹立(続き)

北西インディアン戦争
 アメリカ独立戦争を終結させた1783年のパリ条約は、オハイオ州を中心とした北西部の合衆国による領有を認めていた。
 しかし、パリ条約に参加していないこの地域のインディアン勢力にとってはとうてい承服し難い一方的な取り決めであったし、合衆国のいくつかの構成州が領有を主張したり、また敗北したイギリス軍も五大湖南の砦に駐留を続けるなど、北西部の領有関係はなおあいまいであった。
 これに対し87年、合衆国連合会議は北西部条例を制定し、北西部を正式に合衆国領土に編入することを取り決めた。この条例制定過程からもインディアンは排除されていたが、条例上、インディアンとの信義の尊重、その土地は同意なく侵奪しないことなどのインディアン配慮条項は置かれていた。だが、白人国家アメリカにとって、これも多分にしてリップサービスであり、新たな開拓白人の流入を防ぐことはできなかった。
 北西部のインディアン勢力はアメリカ独立戦争前の1740年代からすでに結束して白人の侵入に対抗し始めていたが、アメリカ合衆国成立後の85年、正式に同盟(西部同盟)を結成し、改めてオハイオ河をインディアン勢力と合衆国の境界線とすることを求めて決起した。この西部同盟は従来のような部族単位ではなく、イロコイ連合を含む部族横断的な大同盟であることが特徴であったが、ここには、白人の合衆国体制からの影響もいくぶんあったかもしれない。
 以後1795年の終結まで、西部同盟は合衆国との10年に及ぶ長期戦に入る。当初は残留イギリス人の支援を受けたインディアン勢の攻勢が激しかった。特に1791年、今日のオハイオ州フォートリカバリーでセントクレア将軍の部隊がインディアン勢に敗北し、多数の犠牲を出した「セントクレアの敗北」は、インディアン勢にとっては歴史的な勝利であった。
 こうした劣勢を挽回するため、合衆国のワシントン大統領は、独立戦争当時の名将であったアンソニー・ウェイン将軍を陸軍司令官に任命、専門的な軍事訓練を施させた陸軍部隊をオハイオに送り込んだ。この時にウェインが築いた前線基地がリカバリー砦で、フォートリカバリーの現地名の由来である。ウェインの精鋭部隊は94年、フォールン・ティンバースの戦いで決定的勝利を収め、北西インディアン戦争を終結させた。
 結果はいつものとおりであった。95年に締結されたグリーンビル条約で、オハイオの大部分とインディアナの一部が合衆国領土とされ、北西インディアン勢はこの地の権利を失ったのである。

北西インディアン戦争を勝利に導いたウェイン将軍は、白人の間では国民的英雄であり、今日アメリカの数多くの地名や施設名にその名が冠されている。西部劇の往年のスター俳優ジョン・ウェインも芸名をウェイン将軍から取っている。ウェインは元来、義勇軍に近かった合衆国軍に初めて専門的な訓練を施した。彼が任された新たな統合型の合衆国軍団は、近代的な合衆国軍の原形となった。一方、敗北したインディアン勢からも後にインディアン側英雄となる若き戦士テカムセを輩出する。彼はフォールン・ティンバースの戦いにも参加したが、グリーンビル条約への署名は拒否して、19世紀以降、新たなインディアンの闘いで指導者となっていくのである。

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