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2014年6月22日 (日)

赤のアメリカ史(連載第11回)

三 民族浄化の19世紀(続き)

「最終解決」へ
 南北戦争後の国家再建とともに、インディアン問題も「最終解決」の段階を迎える。ナチスのようにガス室送りにこそしなかったが、この時期の南北戦争及び民族浄化作戦の「英雄」フィリップ・シェリダン将軍のものとされる言葉「良きインディアンとは、死んだインディアンだ」(本人は発言を否定)は、その象徴的な標語であった。
 インディアン側の抵抗も頑強であった。いったんは抑え込まれていたスー族が、再び蜂起する。原因はまたしても金鉱であった。条約によってスー族の聖地と取り決められていたブラックヒルズ(今日のサウスダコタ‐ワイオミング州境)に良好な金鉱が発見され、ゴールドラッシュが起きると、条約は反故にされ、白人の侵奪が始まった。時のグラント大統領は一応インディアンとの交渉によってブラックヒルズの割譲を認めさせようとしたが、インディアン側がこれを拒否すると、軍事占領を図った。これがブラックヒルズ戦争である。
 この戦争では1877年、モンタナ州リトルビッグホーンの戦いでインディアン側が合衆国陸軍部隊を全滅させる戦果を上げたが、結局、翌年には巻き返しに出た合衆国側の殲滅作戦が功を奏し、スー族は再び封じ込められた。
 一方、アパッチ戦争でも、グラント大統領は表面上和平を追求する姿勢を示し、アリゾナ州の故地に保留地が指定されたが、地元白人の反発もあり、アパッチ族はより不毛な保留地に閉じ込められることになった。これに抵抗したのが、ジェロニモである。
 ジェロニモが生まれたのは、今日のニューメキシコ州域、当時は隣国メキシコ領であり、彼の抵抗戦争の出発点はメキシコ軍部隊に家族を虐殺されたことによるメキシコへの憎悪にあった。その意味では、彼の闘いは本来メキシコに対するものであったが、白人の地理上はその後の米墨戦争で勝利したアメリカがメキシコから獲得した領土にまたがるものであった。
 ジェロニモは小さな戦士集団を率いて山岳ゲリラ戦を展開したが、結局、86年、アリゾナ州で米軍に降伏し、最終的にオクラホマ州で戦争捕虜として終生拘束された。これをもってアパッチ戦争は終結する。
 合衆国政府はブラックヒルズ戦争後もまだ抵抗を続けていたスー族残党に対して、90年から91年にかけて大規模な軍事攻勢をかける。この間、90年12月にはサウスダコタ州ウーンデッド・ニーで米陸軍精鋭の第七騎兵隊がスー族集団300人近くを虐殺する事件が起きた。結局、この象徴的な虐殺の年、合衆国はインディアン戦争の終結を宣言したのであった。
 この後も、20世紀初頭にかけて、なおインディアンとの散発的な戦闘が発生するが、大規模な戦争に発展することはもはやなかった。民族浄化は歴史的な時間をかけて成功した。とはいえ、文字どおり民族を絶滅させたわけではなく、保留地内に隔離した部族民の処遇という問題は次の世紀に持ち越される。

インディアン戦争は大小無数にあり、そのすべてを記録すれば、それだけで大部の戦記になる。そうしたインディアン戦争の大半を担ってきたのがアメリカ陸軍である。今日世界最強を誇るアメリカ軍の力の源泉は、インディアン勢力との100年に及ぶ恒常的な実戦経験という特異な歴史に由来するものと言ってよい。そして、20世紀以降の対外戦争の中でしばしば見せるアメリカ軍の無慈悲な殲滅作戦もまたインディアン戦争での殲滅作戦にその由来があると見られる。民族浄化が一段落した合衆国は、こうして鍛えられた軍事力とそれによって侵奪した広大な領土に発達する産業を基盤に、20世紀以降、覇権国家として世界に進出していくのである。

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