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2014年4月26日 (土)

赤のアメリカ史(連載第2回)

序 アメリカの先史時代

古インディアンの拡散 
 アメリカ先住民インディアンの共通祖先であるモンゴロイド種族は、アジアから陸続きであったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に到達したという学説はほぼ通説であるが、いつ頃、どのようにしてやってきたかとなると、なお考古学者の見解は一致しない。ただ、この移住は一度きりではなく、おおむね4万年から1万5千年前にかけて数次にわたったことはたしかなようである。
 要するに、アメリカ大陸の最初の「発見者」はアメリカの名の由来となったアメリゴ・ヴェスプッチでも、アメリカをインドと混同してインディアンの語源を作り出したコロンブスでもなく、名も知れぬモンゴロイドの集団であったということになる。
 この集団―古インディアン―は、歴史的な時間をかけてカリブ海域を含む南北アメリカ全域に広く拡散し、言語的にも相互に通じ合わないほど多数の部族集団に分化していった。その中には、中南米へ移入してオルメカやマヤ、アステカ、さらにはインカのような文明圏/高度文化圏を築く集団も現れたが、今日のアメリカ合衆国領域では、紀元前後を通じて、中南米の同族のような文明圏/高度文化圏を築いた集団は出なかった。
 おそらく、広大な平原を中心とする北米に残留した集団は小さな氏族的集団ごとに行動する狩猟採集生活を長く営み、山岳地帯の中南米に移入した集団のように、高度な王国を組織する必然性がなかったことによるものであろう。同時に、広大な平原を居住地としたことで、極めて多数の部族集団が分化したため、ヨーロッパ人が侵入するまで統一的な領域国家を形成する機運も生じなかった。

ミシシッピ文化圏
 こうした北米インディアンの部族社会は基本的に平等で、しばしば誤解されるように専制的な「酋長」などは存在せず、調停者のような役割を果たす長老が存在したに過ぎなかったとも言われるが、いっとき階層的な社会構造と見られるものを形成した時期がある。
 それは紀元後800年から1500年頃にかけて、ミシシッピ渓谷で発祥し、世界遺産にもなっているイリノイ州のカホキア遺跡を最大級とする都市文化圏である。
 この文化圏は日本の古墳にも似た大きな土塁マウンドの築造を特徴とし、トウモロコシ栽培に代表される農業文化を持ち、広域の交易活動にも従事したと考えられている。こうしたマウンド文化は、それより以前から北米で見られていたが、ミシシッピ文化圏はその集大成的発展と見られる。
 この文化圏では首長制の特徴も見られ、北米インディアン諸部族の特徴とされる平等な社会ではなく、少数支配層に政治権力と宗教的権威、富が集中する階層的な都市国家の形成が認められる。
 この文化圏が文字体系を創出し、より発展していれば、北米にも中南米的な文明圏が発達した可能性もあるが、この文化圏は16世紀におけるスペイン人武装集団の侵略に前後して、崩壊してしまった。

スペイン人の侵略
 ミシシッピ文化圏の崩壊に手を貸したのが、スペイン人エルナンド・デ・ソトによる侵略であった。
 デ・ソトは後に中南米で猛威を振るうスペイン人侵略者コンキスタドールの先駆けの一人であり、主として北米地域の侵略で名を残し、自らもその地で病死するミシシッピ河の「発見者」ともされている。
 彼はまさにミシシッピ文化圏の中心地帯を侵略して回ったが、中でも著名なのは1540年、今日のアラバマ州マビラで起きたインディアン虐殺事件(マビラの虐殺)である。ここでデ・ソトの武装集団がこの地のインディアン勢力と衝突した際、都市を焼き払ってインディアンを虐殺、略奪した一件である。
 このときインディアン側を率いたのが、今日でもアラバマ州の郡・市名として名を残す首長タスカルーサであったが、彼の率いるインディアン勢はデ・ソトらに大きな打撃を与えつつも全滅し、タスカルーサも落命したのだった。
 スペイン人の侵略がミシシッピ文化圏の崩壊要因のすべてではないが、これを機に、彼らがもたらした伝染病の蔓延が社会の解体を促進したのは中南米文明圏と同様の運命であった。16世紀後半までにミシシッピ文化圏は崩壊し、この文化圏を構成した集団は離散、マウンドを築造する慣習も忘却されてしまった。
 こうして社会解体と部族の分散化という時代を迎えた時に、北米には新たなヨーロッパ人侵入の波が押し寄せるのであった。

タスカルーサは後のジェロニモほどには知られていないが、本文で述べたように、アラバマ州の地名に名を残すほか、かつて第二次大戦前後に稼動した米海軍重巡洋艦の名前にも使われ、アメリカ人の記憶に残るインディアン首長である。おそらく彼は、ミシシッピ文化圏終末期もしくは崩壊期の指導者でもあっただろう。彼がどんな人物であったのかはよくわかっていないが、ある年代記によると、タスカルーサ首長は威厳に満ち、スペイン人より1.5フィートも長身で、細身の筋肉質、均整の取れた体つきをしていたとある。彼の名にちなむタスカルーサ郡・市は、アラバマ大学も所在する同州西部における学術・産業の中心地域となっている。

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