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2014年4月

2014年4月28日 (月)

概説:公用エスペラント語(連載第2回)

一 文字体系

 世界公用語の相対的な条件として、習得容易性が挙げられる。書き言葉を伴う言語習得において最初の関門は文字であるが、世界公用語の文字体系は極力簡便であることが習得容易性を高める。その点、公用エスペラント語では、英語等とも共通するラテン式アルファベット(ローマ字)を使用する。おそらく現状、ラテン式アルファベットが最も簡便な文字体系だからである。
 この点で世界公用語の絶対条件となる言語学的中立性が問われるが、今日多くの非西欧言語でラテン文字表記を正書法表記もしくは補助的な表記として公認していることに鑑みると、ラテン文字の採用は許容されるだろう。

 公用エスペラント語の文字体系は、英語より7個少ない以下の19文字(大文字/小文字)で構成される(カッコ内は読み)。

A/a[アー] B/b[ボー] C/c[ツォー] D/d[ドー] E/e[エー] G/g[ゴー] H/h[ホー] I/i[イー] J/j[ヨー] K/k[コー] M/m[モー]N/n[ノー] O/o[オー]P/p[ポー] R/r[ゥロー] S/s[ソー] T/t[トー] U/u[ウー]  Z/z[ゾー]

 もっとも、大文字と小文字を区別すれば合計で19×2の38文字であるが、公用エスペラント語にあっては通常、大文字と小文字を区別せず、小文字のみで表記する。大文字は装飾や略語に用いるだけである。
 
従って、文頭や人名・地名等の固有名詞の語頭文字も小文字でよいが、固有名詞は全体を斜体で表記する。ただし手書きの場合、固有名詞は斜体に代えて単語全体を筆記体で表記する。そのため、公用エスペラント語は手書きでもブロック体で表記することを原則とする。

 なお、文字の組み合わせによる追加的な準文字として、ch[チ] jh[ジ] sh[シュ]の三つがある。

2014年4月26日 (土)

赤のアメリカ史(連載第2回)

序 アメリカの先史時代

古インディアンの拡散 
 アメリカ先住民インディアンの共通祖先であるモンゴロイド種族は、アジアから陸続きであったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に到達したという学説はほぼ通説であるが、いつ頃、どのようにしてやってきたかとなると、なお考古学者の見解は一致しない。ただ、この移住は一度きりではなく、おおむね4万年から1万5千年前にかけて数次にわたったことはたしかなようである。
 要するに、アメリカ大陸の最初の「発見者」はアメリカの名の由来となったアメリゴ・ヴェスプッチでも、アメリカをインドと混同してインディアンの語源を作り出したコロンブスでもなく、名も知れぬモンゴロイドの集団であったということになる。
 この集団―古インディアン―は、歴史的な時間をかけてカリブ海域を含む南北アメリカ全域に広く拡散し、言語的にも相互に通じ合わないほど多数の部族集団に分化していった。その中には、中南米へ移入してオルメカやマヤ、アステカ、さらにはインカのような文明圏/高度文化圏を築く集団も現れたが、今日のアメリカ合衆国領域では、紀元前後を通じて、中南米の同族のような文明圏/高度文化圏を築いた集団は出なかった。
 おそらく、広大な平原を中心とする北米に残留した集団は小さな氏族的集団ごとに行動する狩猟採集生活を長く営み、山岳地帯の中南米に移入した集団のように、高度な王国を組織する必然性がなかったことによるものであろう。同時に、広大な平原を居住地としたことで、極めて多数の部族集団が分化したため、ヨーロッパ人が侵入するまで統一的な領域国家を形成する機運も生じなかった。

ミシシッピ文化圏
 こうした北米インディアンの部族社会は基本的に平等で、しばしば誤解されるように専制的な「酋長」などは存在せず、調停者のような役割を果たす長老が存在したに過ぎなかったとも言われるが、いっとき階層的な社会構造と見られるものを形成した時期がある。
 それは紀元後800年から1500年頃にかけて、ミシシッピ渓谷で発祥し、世界遺産にもなっているイリノイ州のカホキア遺跡を最大級とする都市文化圏である。
 この文化圏は日本の古墳にも似た大きな土塁マウンドの築造を特徴とし、トウモロコシ栽培に代表される農業文化を持ち、広域の交易活動にも従事したと考えられている。こうしたマウンド文化は、それより以前から北米で見られていたが、ミシシッピ文化圏はその集大成的発展と見られる。
 この文化圏では首長制の特徴も見られ、北米インディアン諸部族の特徴とされる平等な社会ではなく、少数支配層に政治権力と宗教的権威、富が集中する階層的な都市国家の形成が認められる。
 この文化圏が文字体系を創出し、より発展していれば、北米にも中南米的な文明圏が発達した可能性もあるが、この文化圏は16世紀におけるスペイン人武装集団の侵略に前後して、崩壊してしまった。

スペイン人の侵略
 ミシシッピ文化圏の崩壊に手を貸したのが、スペイン人エルナンド・デ・ソトによる侵略であった。
 デ・ソトは後に中南米で猛威を振るうスペイン人侵略者コンキスタドールの先駆けの一人であり、主として北米地域の侵略で名を残し、自らもその地で病死するミシシッピ河の「発見者」ともされている。
 彼はまさにミシシッピ文化圏の中心地帯を侵略して回ったが、中でも著名なのは1540年、今日のアラバマ州マビラで起きたインディアン虐殺事件(マビラの虐殺)である。ここでデ・ソトの武装集団がこの地のインディアン勢力と衝突した際、都市を焼き払ってインディアンを虐殺、略奪した一件である。
 このときインディアン側を率いたのが、今日でもアラバマ州の郡・市名として名を残す首長タスカルーサであったが、彼の率いるインディアン勢はデ・ソトらに大きな打撃を与えつつも全滅し、タスカルーサも落命したのだった。
 スペイン人の侵略がミシシッピ文化圏の崩壊要因のすべてではないが、これを機に、彼らがもたらした伝染病の蔓延が社会の解体を促進したのは中南米文明圏と同様の運命であった。16世紀後半までにミシシッピ文化圏は崩壊し、この文化圏を構成した集団は離散、マウンドを築造する慣習も忘却されてしまった。
 こうして社会解体と部族の分散化という時代を迎えた時に、北米には新たなヨーロッパ人侵入の波が押し寄せるのであった。

cafeタスカルーサは後のジェロニモほどには知られていないが、本文で述べたように、アラバマ州の地名に名を残すほか、かつて第二次大戦前後に稼動した米海軍重巡洋艦の名前にも使われ、アメリカ人の記憶に残るインディアン首長である。おそらく彼は、ミシシッピ文化圏終末期もしくは崩壊期の指導者でもあっただろう。彼がどんな人物であったのかはよくわかっていないが、ある年代記によると、タスカルーサ首長は威厳に満ち、スペイン人より1.5フィートも長身で、細身の筋肉質、均整の取れた体つきをしていたとある。彼の名にちなむタスカルーサ郡・市は、アラバマ大学も所在する同州西部における学術・産業の中心地域となっている。

2014年4月25日 (金)

これからの経済学

 かつては「進歩的」だったマルクス経済学は過去20年ですっかり後退し、再び古典派経済学が世界を席捲しているが、晩期資本主義の時代には古典派経済学では解き切れない諸問題が続出する。
 古典派の短所は、地球環境問題が内在化されないことと、人間行動の不合理な側面が排除され、人間=合理的な利己生物と仮定されてしまうことである。
 環境的持続可能性を経済分析のファクターとする経済学として環境経済学があるが、それとは別に人間の不合理性も含めて人間の経済行動を行動科学的に分析する行動経済学が注目される。この分野ではすでに人間の経済行動には利己性と共に利他性も認められることが実証されるなど、利他性や社会的協力にかかる共産主義経済の可能性に有利な研究もある。
 古典派経済学のように政治イデオロギー(自由主義)と結びつかず、政治的には価値中立的な環境経済学と行動経済学は、これからの経済学として有効な知的枠組みに育っていくと期待される。

2014年4月23日 (水)

赤のアメリカ史(連載第1回)

はじめに

 本連載のタイトル『赤のアメリカ史』の「赤」には、二重の含意がある。その第一は赤い肌のアメリカインディアンのことである。
 北米大陸の先住民アメリカインディアンの人口は今日アメリカ合衆国総人口の1パーセント弱、およそ300万人と見積もられている。この数は「黒」のアフリカ系人口よりもはるかに少なく、日頃表に出てこないマイノリティ中のマイノリティである。
 アメリカインディアンは極めて多数の部族に分化しているが、かれらの遠い共通祖先はアジアから先史時代陸続きだったベーリング海峡を渡ってアメリカへ大移動した古いモンゴロイド種族と推定されており、近代以降に労働者として移住した中国系・日系移民等の子孫であるアジア系米国民とも全く異なる独自の位置にある。
 本連載はそうしたインディアンの視座から見たアメリカ通史である。教科書的なアメリカ史はほぼすべて『白のアメリカ史』、すなわち白人の視座から編まれた歴史である。公民権運動以降は挨拶程度に「黒」や「褐色」の歴史も織り交ぜられるが、「赤」は依然として軽視されている。その点、「赤」の視座からのアメリカ史は、教科書的なアメリカ史とは全く違って見える歴史となるだろう。そこにおいては、かの偉大なリンカーン大統領も組織的ジェノサイドの計画者として登場する。
 「赤」の第二義は、歴史的にインディアンたちが流した血の象徴である。特に19世紀のアメリカ史はそうした血染めの歴史でもあった。それに引き続く20世紀以降のアメリカ合衆国は、流血の上に発展繁栄した超大国である。この厳粛な歴史的事実を道義的な糾弾なしに叙述し、アメリカの別の顔を浮き彫りにすることが、本連載の趣意である。

私は人間の諸行動を笑わず、嘆かず、呪いもせず、ただ理解することにひたすら努めた。―スピノザ

2014年4月21日 (月)

概説:公用エスペラント語(連載第1回)

総説

 筆者はすでに別ブログにて、最も代表的な計画的世界語として国際的に普及しているエスペラント語について詳細に検証する連載記事『検証:エスペラント語』(目次未作成)を発表したが、そこでは同時にエスペラント語をより簡便で、文字どおりの世界共通語として普及させることを可能とする公用エスペラント語の新案を提唱した。しかし、行論上既存のエスペラント語の検証に重点を置いたことから、公用エスペラント語の全体像を十分に示せなかっため、本稿では改めて公用エスペラント語の解説に重点を置いた議論を展開する。
 ここで、再度公用エスペラントの意義について触れておくと、公用エスペラント語とは、既存の確立されたエスペラント語―正統エスペラント語―に対して、それをより簡略化し、公式の世界共通語として採択されることを想定したエスペラント語の新体系を意味する。
 現在、世界の主権国家のほぼすべてが加盟する国際連合では、公用語複数主義に基づき、話者が多い6個の自然言語(英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語・アラビア語)を公用語に指定しており、エスペラント語のような世界語を単一の公用語としては採択していない。
 しかし、筆者は拙論『共産論』の中で、国家の枠組みを解体し、世界民衆を束ねる民際機構として「世界共同体」の創設を提唱し、かかる世界共同体の公式公用語としてエスペラント語の採択をも提案した。そこでは、あくまでも暫定的な公用語としての採用という留保も付しており、より中立的で習得しやすい新たな計画言語の開発を否定していない(拙稿参照)。
 ただ、全く新規の言語を一から創造することの困難さを考慮すると、エスペラント語の改訂版を作成するほうが効率的とも言えるので、ここでは公用エスペラント語の提案に及ぶものである。
 この場合、既存の正統エスペラント語と公用エスペラント語の関係は完全な並存関係であって、効用エスペラント語は派生的な新言語ではない。言ってみれば、文語体と口語体の関係のようなものである。
 とはいえ、既存エスペラント語には創案者ザメンホフ存命中の大会で変更不能と決議された16箇条の絶対的文法規範があり、ここで提起する公用エスペラント語はこの絶対規範にも少なからぬ変更を加えることから、正統エスペラント語の決議違反と認定されることになる。
 だが、計画言語に変更不能な規則を設定するという法律以上に厳格な規範主義に疑問があるという点はさておき、一国の国語として採用されている自然言語にあってもミャンマー語のように文語体と口語体の落差が大きい言語も存在することからすると、よほど厳格な言語正統主義に立つのでない限り、正統エスペラント語と公用エスペラント語の並存は許容できるのではないかと考える。
 本稿はそうした観点に立って、公用エスペラント語の全体像を正統エスペラント語や、場合により英語をはじめとする他の自然言語と対比しながら、文法書的な体裁のもとに叙述していくが、もとより筆者一個人の提案にすぎないため、決定版というものではあり得ず、あくまでもたたき台的な要綱としての利用価値を持つにとどまるものである。なお、上述旧稿で提案した公用エスペラント語の内容は、その後の考察により相当に変更されていることもお断りしておく。

2014年4月20日 (日)

地球似惑星

 NASAのケプラー宇宙望遠鏡が、太陽系外の地球によく似た生命居住可能圏にある惑星を複数発見したという。宇宙は広大であり、しかも複数の宇宙が並行して存在するという近年のマルチバース理論によれば、地球似惑星がいくつあっても不思議はないだろう。
 とはいえ、地球ほど多様な生命体に溢れ、しかもヒトのような(自称)高等知的生物も生存しているという条件を共有する惑星が他に存在するかどうかについて、個人的には悲観的である。仮に地球とほぼ同等の惑星が他に存在しても、そこに人類が到達することはおろか、通信することもできないだろう。到達も通信もできないというのは、存在しないも同然である。
 それほどに地球という惑星は異例の存在である。なぜかくも特異な惑星が出現したのか。何らかの科学的な偶然事象が重なったためではあろうが、それを科学的に論証し切ることはまだ誰にもできていない。そのため、神話的な天地創造説は今後も生き残るだろう。

2014年4月15日 (火)

老子超解・目次

本連載は終了致しました。下記目次各ページ(リンク)より個別記事をご覧いただけます。

序文 ページ1

哲理篇

第一章 四つの大 ページ2

第二章 小なる大 ページ3

第三章 始制有名 ページ4

第四章 玄について ページ5

第五章 道の女性性 ページ6

第六章 物質としての道 ページ7

第七章 道の性質 ページ8

第八章 真空としての道 ページ9

第九章 無について ページ10

第十章 無の効用 ページ11

第十一章 万物相同 ページ12

第十二章 一の体得 ページ13

第十三章 儒教批判 ページ14

第十四章 実と華 ページ15

第十五章 道と徳 ページ16

第十六章 水のごとき善 ページ17

第十七章 同ずること ページ18

第十八章 玄同について ページ19

第十九章 感覚遮断 ページ20

第二十章 抱一について ページ21

第二十一章 含徳について ページ22

第二十二章 復帰について ページ23

第二十三章 襲常について ページ24

第二十四章 知の無知 ページ25

第二十五章 道の実践者 ページ26

第二十六章 道の利益 ページ27

第二十七章 無為・無事・無味 ページ28

第二十八章 無為の効用 ページ29

第二十九章 天網恢恢 ページ30

第三十章 知少について ページ31

第三十一章 無私について ページ32

第三十二章 自知自勝 ページ33

第三十三章 知足知止 ページ34

第三十四章 持満の戒 ページ35

第三十五章 余食贅行の戒 ページ36

第三十六章 曲全の処世 ページ37

第三十七章 柔弱の優位性 ページ38

第三十八章 強梁の戒 ページ39

第三十九章 生命執着の戒 ページ40

第四十章 孤高の詩 ページ41

第四十一章 被褐懐玉 ページ42

第四十二章 老子的三宝 ページ43

第四十三章 真なるもの ページ44

第四十四章 信言不美 ページ45

第四十五章 救人救物の妙 ページ46

第四十六章 大器晩成 ページ47

第四十七章 身から天下へ ページ48

政論篇

第四十八章 道に基づく政治 ページ49

第四十九章 無為の政治;意義(一) ページ50

第五十章 無為の政治;意義(二) ページ51

第五十一章 無為の政治;効用 ページ52

第五十二章 反儒教政治 ページ53

第五十三章 非仁愛政治 ページ54

第五十四章 無心の政治 ページ55

第五十五章 悶悶たる政治 ページ56

第五十六章 嗇の政治 ページ57

第五十七章 道に基づく政治―総括 ページ58

第五十八章 反圧政 ページ59

第五十九章 反収奪 ページ60

第六十章 反死刑 ページ61

第六十一章 反和解 ページ62

第六十二章 政教帰一 ページ63

第六十三章 為政者の等級 ページ64 

第六十四章 為政者の条件 ページ65 

第六十五章 軽挙妄動の戒 ページ66

第六十六章 不争の徳 ページ67

第六十七章 謙下不争の指導 ページ68

第六十八章 大なる切断 ページ69

第六十九章 真の為政者 ページ70

第七十章 大国と小国 ページ71

第七十一章 平和と戦争 ページ72

第七十二章 反軍国 ページ73

第七十三章 不祥の用具 ページ74

第七十四章 十歩後退 ページ75

第七十五章 反私有制 ページ76

第七十六章 自然の衡平さ ページ77

第七十七章 天下往く ページ78

第七十八章 無事革命 ページ79

第七十九章 権謀術数の戒 ページ80

第八十章 与えて奪え ページ81

第八十一章 小国寡民 ページ82

2014年4月13日 (日)

老子超解:第八十一章 小国寡民

八十一 小国寡民

小さくて人口の少ない国、そこでは種々の用具があっても使わせず、民衆をして死を敬重させ、遠方に移動させないようにするから、舟や車があっても、乗る必要がなく、甲や武具があっても、見せびらかす必要もなかろう。
人々をして再び縄を結んで文字として使わせ、手製の料理を旨いと感じさせ、手製の服を美しいと感じさせ、自作の住居に安住させ、自分たちの習俗を楽しむようにさせるから、隣国同士がすぐ見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が互いに聞こえるようであっても、民衆は老いて死ぬまで、互いに往来することもなかろう。


 
本章は通行本では最後から二番目の第八十章に当たるが、内容上は哲理篇及び政論篇の全趣旨を踏まえつつ、老子の理想の社会像を具体的に示したものとして、全篇の最後を飾るにふさわしい章である。
 ここで詩的な表現を用いて描かれているのは、「国」というよりは先史共同体に近い理想郷であって、老子の原始共産主義への傾斜をはっきりと物語っている。歴史‐社会観においても、老子の「復帰」の思想は一貫している。
 しかし、それは決して反動的な復古主義ではなく、むしろ前章までに説かれていた「無事革命」を通じて達成されるような革命的理想郷なのである。
 具体的に見ると、老子的理想郷は自給自足の小さな農村共同体であるが、万人直耕の原始農耕社会ではない。その点では、農家思想や安東昌益などとも異なる。
 また、しばしば老子と結びつけられる「反文明」というモチーフも見られない。前段にあるとおり、老子的理想郷には舟や車、甲や武具も備わっているから、決して未開の石器時代的社会ではない。文明の利器は備わっているが、それに依存しない知足の定常経済社会こそ、老子の理想なのである。
 ちなみに『毛沢東語録』にも収録された一節において、毛は共産党委員会の委員同士の連絡を密にすべきことを説く中で本章末尾の一文を引き、連絡不通の象徴として揶揄しているが、自足的な定常経済社会同士では交換(交易)もしないから、互いに往来する必要もないのである。
 老子を揶揄した毛が建設し、「大国多民」の成長経済社会を達成した現代中国に、老子流小国寡民を顧みる余裕はないであろう。老子は同時代的にも、現代的にも、反時代流の人なのである。(連載了)

2014年4月12日 (土)

アベノミクスの「限界効用」

 昨年好調だった東京株式市場が今年に入って下降気味である。アベノミクスの“神通力”の限界も指摘される。元来、アベノミクスはプチ・バブル経済であり、いずれ崩れ去る砂上の楼閣だという批判もあるが、必ずしもそうではない。
 低成長の晩期資本主義の時代になし得る現実的な経済政策は唯一、証券市場のてこ入れ策だけである。大資本優遇との批判もあるが、もはや賃金+年金だけに依存できない時代、庶民も投資で資産運用を図らなければならないわけで―年金基金も投資運用されている事実に留意―、上場企業バックアップと株価維持は合理的な経済政策である。
 アベノミクスが“神通力”を失うとすれば、実体経済の成長を狙って、あれもこれもと散漫に手を広げるからである。アベノミクス=制御されたバブル経済と割り切って、資産経済の活性化にポイントを絞り、バブルの破裂を回避しつつ、アベノミクスの「限界効用」を乗り越える不断の株価てこ入れ策を持続するしかない。

2014年4月 9日 (水)

法律より科学で

 STAP細胞論文をめぐる騒動が、当事者の研究者と所属機関の間で全面対決の様相となった。懲戒処分に関わる事案であるから、労働者としての権利保護のため、法律論争になることも理解できるが、事の本質はやはり科学論争である。
 理論仮説としても、STAP細胞はあり得るのかどうか。この点、物理学では初めに理論仮説としてある物質の存在を数学的に予言することがあるが、生物学ではそうした計算式だけの予言ができないため、実験過程での捏造云々という疑惑が持ち上がる。それならば、疑惑渦中の当事者を検証実験から排除するのではなく、第三者の面前で当事者本人に再現実験をさせてテストするという検証方法が妥当ではないか。科学の余白を埋めるには法廷より実験室がやはりふさわしい。
 それとは別に研究不正の認定を公正に行うには、研究所の内部調査ではなく、「スポーツ仲裁裁判所」にならった「科学仲裁裁判所」のような科学者を審判官とする特殊な法廷を作って、審理の場としたほうが当事者も納得がいくように思われる。

2014年4月 8日 (火)

体験的介護保険制度批判(追記3)

 高齢家族が意外に早く自宅からも近い特養ホームに入居できたと喜んだのも束の間、初日からいきなり制度不備の現実に直面である。
 直前まで入所していた老人保健施設(老健)では原因不明の発熱がしばしば発生する微妙な体調不良が見られたのだが、その状態から移転したところ、入居初日に熱が上がった。それだけで施設では大慌てとなり、外部の協力病院受診が指示され、家族付添で夕方に往復させられる羽目となった。
 こういうハプニングになるのは、特養では医師が常勤せず、看護師の勤務も日中のみのわずか数名という医療体制のため、入居者の発病時の対応が十分できないからだという。
 ここで問題となるのは、特養入居者は全般に介護度も重く、医療行為を要する事態が起きやすいにもかかわらず、医療体制が不備だということである。そうだとすると、特養はぴんぴんした健康老人しか安心して入居できないことになるが、それでは「特別養護」とは何を意味するのか。 
 もともと特別養護老人ホームは介護保険上「介護老人福祉施設」とも呼ばれ、二重の名称を持つ定義もあいまいな制度である。ただ、基本的にはあくまでも福祉施設ということで、医師の常勤や高度な医療行為はたしかに無理であろう。
 それでも看護師の権限が強ければ、看護師の常勤だけでもかなりの医療行為をこなせるが、日本では看護師の権限が弱く、医師の指示がなければ点滴一本打てないという医師至上の権威主義的な医療制度が特養の医療能力をも著しく制約している。
 それならば、せめて近隣の外部医師に24時間往診を嘱託すればよいが、そうする義務もなければ、24時間往診に対応可能な医師もほとんどいないというのが現状である。
 当面は、看護師の人数と勤務体制(最低一人の夜勤義務)の点で配置基準を強化することが特養の医療能力を補充する最低限度の改善策であろうが、時代に合わない医師至上の医療制度を改革し、看護師の権限を強化することは急務である。
 ちなみに、老健は医師が常勤するが、発熱の頻発に対して原因不明で片付け、点滴だけで済ませていたことも疑問であるし、保健施設といいながら在宅当時よりも体調が悪化するのも解せない。また老健と特養は施設種別が異なり、両施設の間に連携もないため、体調回復を待って移転するといった調整も容易にできない(同様の問題は、病院からの移転ないし退院・再入居でも発生する)。
 とにかく、日本の介護保険制度は在宅・施設を問わず、不備・不合理のオンパレードである。新たな段階に入るたび、当事者は右往左往振り回されるのだ。その間も、利用料金だけは滞りなく吸い取られていく。この国で安心介護は期待しないほうが賢明なようである。

[追記の追記] 
特養の医療体制が不備ということは、種々の医療措置が必要になる終末期が近づくと事実上の退去要請を受ける可能性も高いということである。家族としては特養の次の最終受け皿も用意していなければならない。悩みは最後の最期まで尽きない。
 

2014年4月 6日 (日)

老子超解:第八十章 与えて奪え

八十 与えて奪え

縮小したければ、しばらく拡張せよ。弱くしたければ、しばらく強くせよ。廃れさせたければ、しばらく興せ。奪いたければ、しばらく与えよ。こうしたことを微明[びめい]という。
魚は(不用意に)淵から離れてはならない。国の利器は(むやみに)人前に姿をさらすべきではないのだ。


 通行本第三十六章の本章の主題は、革命の時機である。微明(=微妙な明知)と名づけられた前段の術策的な教えは、一見すると権謀術数を戒めた前章に反するようでもあるが、これは別の章でも「不道」という言葉で語られた「物は強盛であるほど衰退する」の応用であり、むしろ前章で説かれた盛衰消長の情勢判断の要諦なのである。
 この点、新しい社会の勃興は古い社会が発達し切った時点から始まるというマルクスの革命理論とも共振するところがある。
 
従って、後段にあるように、魚にたとえられた国の利器=革命家はむやみに先を急がず、繁栄爛熟した現存社会が衰退する時機まで雌伏しているべきだということになる。雄飛的な天下取りを目指した戦国時代諸侯の戦略とは対極にある革命戦略である。

2014年4月 5日 (土)

老子超解:第七十九章 権謀術数の戒

七十九 権謀術数の戒

天下を取ろうとして術策を用いても、成功しないことはわかり切っている。天下とは不可思議なもので、術策もきかないし、執着もできないものだからだ。術策を用いる者は敗北し、執着する者は失墜する。
およそ物には進むこともあれば、後れることもあり、穏やかなこともあれば、急なこともあり、強いこともあれば、弱いこともあり、育つこともあれば、萎むこともある。こういうわけで、理想の人は極端を避け、贅沢を避け、驕慢を避けるのである。


 
通行本第二十九章の本章は、まさに前章で説かれた「無事革命」の帰結であって、革命に際しての権謀術数の戒めである。政治思想としてはマキャベリズムの対極と言える。
 従って、事物の盛衰消長を説く後段も、単にそれだけにとどまらず、より実践的に事態の推移を偏りなく客観的に見極める革命戦略論として読める。そうした情勢判断を的確に行うためには、末尾で理想の人の態度として示されるような偏りのない徳が要請される。
 中間を行く偏らない徳という点では、儒教の中心概念である「中庸」とも交差するが、老子の場合は天下取り=革命の要諦として実践的に示されている点に大きな違いがある。

2014年4月 1日 (火)

スウェーデン超小史(連載最終回)

六 ポスト福祉国家時代

社民党の揺らぎ
 23年間、首相の座にあったエルランデルが69年に退任した後は、オロフ・パルメが後継に就いた。パルメは、エルランデル政権の閣僚も経験してきたが、前任者より急進的であった。彼は福祉国家の拡充を推進し、特に雇用保障に力点を置いた。外交的にはベトナム戦争に反対するなど反戦平和主義をアピールし、米国―事実上は協力関係にあった―の外交軍事政策に反対した。
 パルメはカリスマ性を持った指導者であったが、76年の総選挙では敗れ、社民党は40年ぶりに下野した。おそらくパルメの急進性への不安が長らく穏健主義の政権に慣れた国民の間にも広がったものと思われ、続く79年総選挙でもパルメ率いる社民党は連敗する。
 しかし、この間、非社民系連立政権は安定せず、頻繁な内閣交替に見舞われ、政策の軸も定まらなかったため、82年総選挙では社民党が政権を奪還し、パルメが首相に返り咲く。第二次パルメ政権は折からの経済不振と財政赤字に対処するため、社民主義政策の修正にシフトした。
 ところが、85年総選挙で連勝した翌86年、パルメはストックホルムの路上で何者かに射殺された。一度は有罪判決を受けた被告人の無罪が確定したこの暗殺事件をめぐっては、様々な憶測が飛び交った。
 社民党はパルメ後継のイングヴァール・カールソン首相の下、88年の総選挙でも勝利し、政権を維持するが、90年代初頭、70年代オイルショック以来の経済不振に対応する金融緩和が招いたバブル崩壊に基因する大規模な経済危機に見舞われる。高失業に銀行破綻も続き、カールソン政権は減税や緊縮を軸とした包括的な経済改革策を打ち出すが、91年総選挙では大敗、穏健党を中心とした保守連合に政権を譲った。 

新自由主義への傾斜
 カール・ビルト首相の率いる保守系連立政権は、カールソン政権の経済改革策を徹底し、福祉民営化など、新自由主義的な脱福祉国家的改革に踏み込んでいった。経済危機は一段落したものの、ビルト首相の新自由主義は社民主義に慣れた有権者には急進的にすぎたか、94年の総選挙では社民党が大勝し、再びカールソンが政権に返り咲く。
 第二次カールソン政権は財政再建のため、支持基盤の労組と対立してまで、歳出カット、増税を断行したほか、95年には長年の外交的建前であった中立主義を大きく修正して、欧州連合に加盟した。
 96年にカールソン首相が退任すると、財政再建の中心にいたイェラン・ぺーション財務相が首相に昇格した。ぺーション政権はよりいっそう新自由主義に傾斜していく。国鉄の株式会社化や公的年金を所得比例型に移行する自己責任的改革が、ペーション政権の主要な成果である。言わば、ビルト政権の社民党版であった。
 他方で、ペーション政権は「緑の福祉国家」理念を打ち出し、環境政策を重視する姿勢を見せた。これは90年代に伸張し、社民党を脅かしつつあった緑の党の取り込み策の意味もあったであろうが、「環境」は社民党が従来の福祉政策重視の姿勢を修正しようとしていることの隠れ蓑でもあった。

保守化の時代
 ペーション社民党政権は98年、02年と連勝したが、2006年の総選挙では敗れ、再び穏健党主導の保守系連立政権に交代した。
 社民党の敗因として、04年に多くのスウェーデン人観光客が犠牲となったスマトラ島沖大地震・津波時の政府の不首尾な対応への批判も指摘されたが、そうした些細な不手際が影響したとすれば、それは10年続いたペーション時代、すでに新自由主義に傾斜した流れの中で、保守系との差がこれまでになく縮小していたことの証しであろう。
 一方、連立政権を率いるラインフェルト首相はビルト元首相とは異なり、脱福祉国家的改革にはより穏健な立場を打ち出し、穏健党がまさに「穏健化」したことも勝因となった。つまり脱福祉国家のスピードを緩和し、時間をかけて溶解させる戦略である。外交・軍事的にも、ラインフェルト政権は将来的なNATO参加を志向し、時間をかけて歴史的な中立主義を脱しようとしている。
 08年の世界大不況への対処も手堅くこなしたラインフェルト政権は、10年総選挙でも連勝し、保守系政権としては30年代以降最長期間に入っている。野党・社民党はこの間、退潮傾向が顕著である。ペーション首相の退任後、初の女性党首となったモナ・サーリン党首の下でも政権は奪回できなかった。
 歴史的な時間をかけた長いスウェーデン社会民主主義革命は、歴史的な時間をかけてゆっくりと終わろうとしているようである。 

danger1980年代以降のスウェーデンでは、OECD加盟諸国中でも最も急速なペースで格差拡大現象が進んでおり、スウェーデンも「普通の国」になろうとしているかのようである。2013年5月に起きた移民街での連続暴動事件は、労働力補充を狙った移民政策の結果生じた最下層移民の社会的不公正に対する不満を背景としていると指摘されている。

[追記]
2014年の総選挙では、穏健党政権下での新自由主義政策からの転換を訴えた社民党が8年ぶりに政権(緑の党との連立)を奪回し、首相には溶接工出身のステファン・ロベーンが就任した。

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