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2014年2月

2014年2月26日 (水)

「後退国」展望

 「先進国」と「途上国」という―専ら資本主義市場経済の―発展水準を基準とした伝統的な国家分類に、近年は「途上国」を脱しつつある「新興国」という分類が加わって賑やかになったわけだが、もう一つ「後退国」という分類を加えなければ現実的ではないだろう。
 「後退国」とは、ひとたび「先進国」の位置を確保した国で、その後経済的に後退しつつある国を指し、「途上国」の反対語とも言える。残念ながら、こうした「後退国」の筆頭に日本があり、さらに斜陽の米国、経済不振の続く欧州のいくつかの大国が含まれるだろう。
 「後退国」は一度は「先進国」の域に達したことから、その時代に蓄積した富は留保されており、その運用によってしばらくは「先進国」並み水準を持続していくことができるが、伸びしろのある「新興国」とは異なり、再び「先進国」に復帰することはない。
 しかし、後退の先に必ず破局が来るわけでもない。後退の先に、資本主義市場経済とは別の道も発見されるだろうからである。そうした意味では、「後退国」とは、来るべき新たな世界を先取りする「先駆国」でもあり得るのである。

2014年2月22日 (土)

老子超解:第七十一章 平和と戦争

七十一 平和と戦争

天下に道が行われていれば(平和であり)、伝令の早馬は退けられて畑の耕作に使役される。天下に道が行われていなければ(戦争となり)、軍馬は都の近郊にまで現れるのだ。
罪は欲が深いことほど大きなものはなく、禍は足るを知らないことほど大きなものはなく、咎は欲を追い求めることほど痛ましいものはない。だから足るを知るというその充足こそ、定常的な充足なのだ。


 通行本第四十六章に当たる本章からは四つの章にわたって老子流の反戦平和論が展開される。筆頭の本章では老子のキーターム・が平和の条件として提示されている。
 これは直接的にはすでに見た「不争」の帰結とも言える。
後段では哲理篇第三十二章から第三十四章にかけて論じられた充足論が再言されているが、ここでは平和の条件を充足的な定常経済に見ようとしている。
 こうした点からも、老子の平和論は観念論的な主義ではなく、唯物論的基礎を持つ政経論とみなし得るところである。

2014年2月20日 (木)

体験的介護保険制度批判(追記2)

 「追記1」で介護保険申請から2年で在宅「卒業」ということを書いたが、家庭によっては5年、10年と介護していることに比べれば諦めが早いという見方もあるかもしれない。
 在宅の限界の見極めは難しいとも記したが、常識的にみて、介護度の重度化が在宅の限界となる。現行の要介護5段階評価で言えば、4以上は在宅の限界である。実際、データ上も4を境に施設介護の割合が在宅を上回る。我が家の場合も、4に達して限界に来たのである。
 問題はそのスピードが速く、最初の要介護1から半年で2になり、1年余りで3を飛ばして4まで行き着いてしまったことにあり、その進行速度に介護者がついていけなかった。
 これだけ早い介護度進行の要因は何だったのかを検証する必要がありそうである。介護度の急上昇は、複数回に及ぶ入院がきっかけであった。よく聞く話である。在宅診療も受けていたにもかかわらず、現行の在宅診療制度は多分にして形だけのものであるため、必要性に疑問のある入院が生じやすい。
 そればかりではなく、必要的な入院であっても、日本の入院治療は短縮化政策が進展した今でも長めなことがある。これは高齢者の場合、ADL低下の最大要因となる。とはいえ、手術を伴う入院では一定期間を要するので、問題はリハビリの不足である。
 急性期病棟をなるべく短期で出た後、リハビリ病棟/病院で集中リハビリをして退院という流れが確立されていない。この点では、リハビリ施設の位置づけを持つ老健の代替的な活用も有効なはずだが、老健では入所要件として「病状の安定」が要求されるため、退院直後の不安定期には入所判定で落とされる可能性が高く、実際それを経験した。
 しかしこれも納得しにくい話で、老健は特養と異なり、医師が常駐し、看護師の配置人員も多く、準医療機関的な機能を持つので、退院できる状態にあれば、入院当時の主治医と連携しながら対応できないことはないはずである。一番必要な場面で老健利用も困難なため、入院契機の介護度進行が防げないのである。我が家の場合もこのパターンにはまってしまったようである。
 一方で、在宅継続を可能とするうえで中核となるべき在宅サービスとしての訪問リハビリ(言語訓練を含む)は供給が需要に追いつかず、十分に提供されていないため、在宅介護の中心はいわゆる訪問介護というワンパターンになりがちである。
 かくして、日本の医療・介護はリハビリ体制不備のために、介護度の重度化を防げず、むしろ重度化を促進しているとさえ言える。医療・介護を受ければ受けるほどに介護度が重度化していく。その結果が、我が家も加わった特養待機者の行列である。
 なお、高齢者向けのリハビリとは文字どおり元に戻すということではなく、心身の機能低下を先延ばしにするサスペンションであるということは以前に書いたことがあるので(連載第10回)、ここで言う「リハビリ」もそのような意味でのことである。

2014年2月19日 (水)

体験的介護保険制度批判(追記1)

 介護保険申請からおよそ2年、とうとう在宅介護をとりあえず「卒業」する時が来た。とりあえず・・と書かざるを得ないのは、まさにとりあえずであって、いわゆる老人ホーム入居となったわけではないからだ。
 有料ホームは経済的に無理な階層であり、介護保険施設の種類が少ない現状では特養ホームしか選択肢はほぼないが、こちらはご多聞に漏れず申込者多数につき待機中ということで、介護老人保健施設(老健)への入所というよくある暫定対応である。
 それにしても、一人きりでの在宅介護の大変さは骨身に沁みた。政府がいかに「施設から在宅へ」などと旗を振っても、超少子超高齢化が進行中の日本で重度化しても看切れる在宅介護の条件が備わった家庭は少数である。
 そこで介護度が進行するにつれ、施設介護を考えなければならなくなるが、介護者にとっては在宅か施設かの見極めが悩みである。現行介護保険制度は在宅介護と施設介護を截然と別立てにしているため、在宅からの施設入居(所)には「姥捨て」のような負い目を感じさせられることがある。
 一方で政府は「地域包括ケア」のような理念を打ち出しているが、これは在宅と施設を分断する政策とは矛盾する。そもそも在宅と施設を截然と分ける発想自体が官僚主義的な杓子定規である。
 実際、老健は施設介護の一種とされながら、たてまえ上はリハビリによる在宅復帰を目指す施設であるから、在宅と施設の中間的な施設である。ところが、老健も長期間自宅を離れる以上は施設介護だと形式的に位置づけられているため、たてまえどおり老健から在宅へ復帰する場合、介護保険の手続き的な切り替えが煩雑になるという問題が生じる。
 これに対し、特養は終身居住を目的とするから純粋の施設と言えるが、この場合も週末だけは自宅で過ごすといった帰休制を取り入れるなら、在宅とも部分的にオーバーラップしてくるだろう。
 しかし、もっと進めて、介護する家族との同居も認める介護付き高齢者住宅ないしケアハウスのような制度は在宅と施設の両要素を兼ね備えたものとして検討に値する。もちろん、これを有料ホームのような営利主義に委ねるのではなく、さしあたりは新たな介護保険施設として整備しなければ、広く普及はしない。
 もっとも、本来これは「施設」というより「在宅」の一種だが、「施設」としての扱いも受け、なおかつ外部の在宅介護サービスも個別的に受給可能という点で、「在宅」と「施設」の垣根を取っ払ったものとも言えるだろう。こうした柔軟な発想を大胆に取り入れていかない限り、「地域包括ケア」云々も机上プランで終わること確実である。
 「在宅」=通常住宅、「施設」=老人ホームという発想は硬すぎるのである。介護保険制度の使い勝手の悪さの要因として、そうした官僚的な発想の硬直さもあると痛感させられた年月であった。

※当連載の本編記事は、筆者の介護生活の実質的な終了に伴い、削除致しました。一部正確を欠いたにもかかわらず、ご愛読ありがとうございました。

2014年2月16日 (日)

老子超解:第七十章 大国と小国

七十 大国と小国

大国とは下流である。それは世界の交差点であり、世界の女性性である。女性性は常に静穏によって男性性に勝つ。静穏によってへりくだるようにするのだ。
そこで大国が小国にへりだれば、小国の従属を得られ、小国が大国にへりくだれば、大国の保護を得られる。だからあるときはへりくだって従属させ、またあるときはへりくだって保護を受ける。大国は他国まで併せて人民を養いたいと望んでいるにすぎず、小国は大国の保護下に入って人民に仕えたいと望んでいるにすぎない。とすると、両者が各々その望むところを得たければ、まず大国の側がへりくだるようにするのがよい。


 
大国の謙譲を主題とする通行本第六十一章に当たる本章は、第六十七章で説かれた謙下不争の指導論を国際関係に適用している。一般には上流や男性として表象される大国が、ここでは下流や女性として表象されているのが老子流である。
 老子の時代の「国際関係」とはさしあたりいわゆる中原に割拠する漢民族系諸国の関係に限られていたが、軍事力や合従連衡の外交術が大国と小国の関係を規定していた時代に、老子は相互謙譲という徳を対置しようとするのである。
 もっとも、後で見るように、老子の理想の国家像は大国ではないのだが、戦国時代の現実から老子も大国の存在を認めつつ、その帝国主義的な不遜を諌めたのである。理想を留保したうえでの現実主義的な老子の一面を示す政論と言えよう。

2014年2月14日 (金)

金融緩和という麻薬

 経済危機に直面した際の資本主義の延命策として幅を利かせているのが、中央銀行を使った(量的)金融緩和である。2008年の世界大不況に際しても米国をはじめ各国が共同してこの策に出て、傾いた船をどうにか立て直した。
 しかし、このような言わばマネーの放水作戦をいつまでも続けるわけにいかず、どこかで収めねばならないが、そうすると今度は市中に溢れて新興国へ流れていたマネーがまさに潮が引くように退潮し、晩期資本主義の主役である新興国経済の不振を招くという問題を生じさせている。新興国経済の縮退は資本主義の終焉を早める。
 結局、金融緩和は当座の緊急対策としては一定効果があるが、麻薬のようなもので依存すると弊害も大きく、資本主義にとって自傷行為に近い面がある。
 金融緩和に頼らないより真っ当な延命策は新興国自身の自立的・持続的な資本主義的発展を促すことだが、新興国が先発国への歴史的な従属経済状況から完全に抜け出すことは難しく、多くの場合、成功しないだろう。

2014年2月13日 (木)

作曲における「共作」

 衝撃の余波がまだまだ続きそうなゴーストコンポーザー事件であるが、今回の事件をめぐっては、作曲において「共作」ということがあり得るかという日頃意識されない論点も派生的に浮上してきた点では、決して無駄にはならない。
 学術の世界では「共著」「共同論文」という形の「共作」は普通に行われているが、音楽を含めた芸術界で「共作」はまれである。芸術はそれだけ作者個人の着想にかかる個人的営為と考えられているからである。中でも、音楽は個人の頭の中に浮かんだ音をそのまま表現する点で個人性が強い。
 とはいえ、音楽においても「共作」が全く成り立たないわけではない。例えば、Aが主旋律となるメロディーを作り、Bがそれをもとに完全な楽曲に仕上げたような場合は、AとBの共作と言えるだろう。この場合、A自身は楽譜が読めず・書けずであっても、歌うことで旋律を具体的に示したならば、その限りでAも作曲者の一人に名を連ねる権利を持つ。音符とは、文学で言えば文字に相当する記号にすぎないからである。
 ただ、今回の事件では代作させていた人物は曲調などを言葉で指示した音楽化されていないメモを実作者に渡しただけとされているので、これでは「共作」とは言えず、通常よりも詳細な作曲の委嘱にすぎないだろう。よく言っても、作曲のプロデュースにすぎない。
 彼が初めからプロデューサーとして自己を明示していれば、今回のような騒ぎにならなかったはずだが、それでは“現代のベートーベン”神話に比べメディア向けインパクトには明らかに欠けていることが、欺瞞の道に進ませたのだろうか。

[追記]
事件発覚から一年を経て、楽曲の実作者だった作曲家は、今やメディアで引っ張りだこのタレントである。欺瞞行為を自ら暴露した“功績”はあるが、それによって自身も長期間欺瞞に加担していた事実を相殺することはできない。“永久追放”に値するほどの「重罪」とは思わないが、相当期間の「謹慎」は必要ではないか。作曲家をタレントに仕立てて引っ張り出すメディアの意識の低さにも呆れるが、誘いに乗ってタレント活動をする本人の倫理感覚にも幻滅である。

2014年2月12日 (水)

余白を汚すなかれ

 日米共同研究によるより単純な万能細胞(STAP細胞)生成法の発表をめぐる過熱報道が一段落したところで改めて振り返ると、これはミクロな生物学の分野での新たなパラダイム転換の始まりと言えるだろう。
 ただし、研究当事者も認めるとおり、臨床医学的な実用に関してはまだこれからの課題であり、今回の成果は時の人となった小保方博士の言葉どおり、数十年後、百年後を展望した基礎理論的な発見である。その意味では、また一つ科学の余白が埋まったというよりは、新たな余白がまた一つ作られたということになるかもしれない。
 それにしても、当事者の女性研究者を芸能アイドル視するかのような異常な過熱報道がすでに報道被害的状況を作り出しているのは論外としても、日米共同研究を日本人だけの研究成果であるかのように偏向報道したり、先般ノーベル賞受賞者の山中博士が自身のiPS細胞との比較に関する報道上の「三つの誤解」を指摘したことを詳報しないなど、この間の科学報道のあり方には多大の疑問がある。
 研究者への被害や一般人の誤解を生む恐れのある歪んだ科学報道によって科学の余白を汚すことのないよう、公正でまさに科学的な科学報道が厳に望まれる。

2014年2月 9日 (日)

豊かさの指標

 生活の豊かさを示す指標として、最も単純明快なのは一人当たりGDPである。この指標で見たとき、近時の日本のランクは各種国際機関の統計で若干のずれはあるも、おおむね20位前後に後退している(非独立地域を含む順位)。
 この指標トップを争うのは、ルクセンブルク、モナコ、リヒテンシュタイン、カタールといった欧州、中東の小国である。
 ただ、この指標は頭数が分母となるため、人口の少ない国に有利であり、中国などはGDP規模では世界第二位に躍進しても、頭数が多いため、一人当たりでは100位前後の中位まで後退する。
 それでも、この指標は生産活動の果実がどの程度個々の生活者に還元されているかの目安とはなる。日本の場合、GDPでビッグ3の三位につけているわりに還元性は低いと言わざるを得ない。この点、単独国家としてはGDP断トツ首位のアメリカは一人当たりでは10位前後である。この国もやはり還元率は決して芳しいものではない。
 結局、経済規模ではビッグ3すべてが、生活の豊かさという点では経済規模がはるか小さな小国にも劣っているという事実に行き当たるのである。生活の質をおいて生産活動の量的拡大ばかり追求することの限界である。

2014年2月 8日 (土)

老子超解:第六十九章 真の為政者

六十九 真の為政者

世の中に水より柔弱なものはない。しかし堅強なものを攻めるとなると水より勝るものもない。それは水の性質を変えさせるものがないからである。
弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つということは、世の中に知らない者はないが、それを実践できる者もない。こういうわけで、理想の人は言う、「国の恥を引き受ける者を国家の指導者といい、国の禍を引き受ける者を天下の王というのだ」と。真実の言葉は逆説的である。


 水の比喩を好んで用いる老子は「水の哲学者」でもあると指摘した(第十六章)。水は老子が理想とする柔弱の象徴であるが、柔弱は軟弱ではない。本章(通行本第七十八章)冒頭で説得的に述べられているように、一滴の水も大量なら攻撃的な圧力を持つからである。

 そこで、最終的には水のごとく柔弱なものが剛強なものに逆転勝利するというのが老子流人生哲学であり、また政論でもある。第二段の為政者論もそこに由来しており、国の誉や福を一身に浴びようとする剛の者ではなく、むしろ国の恥と禍を一身に引き受けようとする柔弱な者こそ真の為政者だという。
 老子からすれば、国の誉や福は浴びたがるが、国の恥や禍からは逃れようと汲々とする現実の政治家の大半は真の為政者の条件を備えてはいまい。

2014年2月 6日 (木)

ゴーストコンポーザー事件

 全聾とされる聴覚障碍を持つ独学の天才日本人作曲家と賞賛されていた人物が、20年近くにわたり他人に代行作曲させていたことが発覚したゴーストライターならぬゴーストコンポーザー事件は、クラシックジャンルでは世界史上も例を見ないスキャンダルかもしれない。
 なぜ、それほどに長い間事が発覚しなかったのか。作曲は楽器演奏と異なり、聴衆の面前という公開の場で技能が証明されることがない。
 しかしそればかりでなく、周囲の音楽関係者が本人とのやり取りの中で発表作品に見合う作曲技能が欠如していることを見抜けなかったこともあろう。それだけ偽装が巧みであったのだろうが、規範的なコード芸術であるクラシック音楽では通常、独学での本格的な作曲活動は至難であることからも、疑念は向けられるべきであったろう。
 より根本的には、クラシックを含めた音楽の商品化がある。今回のケースでも、楽曲の音楽性の評価の前に作曲者とされた人物の聴覚障碍という属性が先行し、“現代のベートーベン”云々の俗受けする美談がメディア主導で流布され、日頃クラシックを聴かない層にまで浸透して、商品としてのCDが高い売り上げを記録するといった「ブーム」が作り出されている。もし作品が健常の作曲家のものとして発表されていたら、果たしてそこまでヒットしていたかどうか大いに疑問である。
 そういう意味で、今回の事件は音楽の市場化がもたらした悲喜劇であると言えるだろう。代作の経緯等詳細に関する真相解明はこれからであるが、本件を著作権や詐欺等の法律問題として矮小化せず、日本音楽界は歴史的痛恨事として検証する必要がある。

2014年2月 2日 (日)

スウェーデン超小史(連載第3回)

二 従属から「大国」へ

カルマル同盟
 統一王国としての基礎が築かれたのも束の間、14世紀のスウェーデンはペスト禍の直撃に加え、王と貴族層の間での政争の激化により、にわかに弱体化していく。ビェルボ朝末期のマグヌス4世時代には南部をデンマークに侵略されるなど、外患にも見舞われた。 
 結局、1364年、失政の多いマグヌス4世に対し、有志の貴族層はドイツ人でマグヌスの甥にも当たるメクレンブルク家のアルブレクトを王に招聘し、クーデターでマグヌスを追放、ここにビェルボ朝は終焉し、ドイツ系(遠祖はスラブ系)のメクレンブルク朝が成立した。これはスウェーデン史の特徴となる外国人招聘王朝の先例であった。
 しかし、アルブレクト即位後も先王マグヌス派との間で内戦が続き、それが一段落しても、西部地方はアルブレクトを支持せず、政情は安定しなかった。やがてストックホルムでも支持を失うと、アルブレクト王は貴族所領の上知を断行しようとしたため、貴族層の反発を招き、1389年、貴族層はデンマークの事実上の君主であった摂政マルグレーテ1世の軍事援助を得て、アルブレクトを追放することに成功した。
 マルグレーテは96年、姉の孫に当たるポメラニア人(スラブ系)のノルウェー王エーリクをデンマーク・スウェーデン王(スウェーデン王としてはエリク13世)に立て、翌年にはデンマーク主導の三国同君連合カルマル同盟を発足させた。
 こうして14世紀末以降、スウェーデンは当時北欧の大国となっていたデンマークを盟主とする同盟の中に吸収され、実質上デンマークの従属国となったのである。

抵抗の時代
 デンマークの軍事介入はスウェーデン貴族層自身の要請によるものだったとはいえ、それをきっかけにデンマークに従属することは必ずしもスウェーデン支配層の本意ではなかった。
 そうしたスウェーデンの反同盟的な動きは、エリク13世時代から現れていた。1434年には、スウェーデンの農民や鉱山労働者が大規模な愛国的反乱を起こした。スウェーデン貴族層はこれをカルマル同盟弱体化に利用し、以後もエリクの後継者たちはスウェーデンを統制し切れなかった。
 16世紀になると、スウェーデンの国政は有力貴族ストゥーレ家を中心とした摂政の手中にあり、かれらは独立への動きを加速させていた。1518年、独立派が親同盟派を追放する政変が起きると、時のデンマーク王クリスチャン2世は武力鎮圧の強硬策で臨んだ。20年には、スウェーデン独立派有力者を容赦なく大量処刑し(ストックホルムの血浴事件)、独立派の根絶を図った。
 このような流血弾圧策は成功したかに見えた。しかし独立派貴族としていったんはデンマークに囚われながら脱出し、血浴事件を逃れたグスタフ・ヴァーサはスウェーデン中部のダーラナで農民を集めて義勇軍を結成し、スウェーデン独立戦争を開始する。
 当初はマイナーだった義勇軍が短期間で増強され、次々と勝利を収めると、スウェーデン枢密院はグスタフを摂政に任じた。義勇軍にはハンザ同盟軍も加わり、デンマーク・ノルウェー合同軍を撃破した。
 幸運にも、23年にはデンマークで宮廷クーデターが起き、クリスチャン2世が追放され、フレゼリク1世が即位した。フレゼリクは先王とは異なり、スウェーデンの独立を承認したことから、スウェーデン枢密院は摂政グスタフ・ヴァーサを正式に国王に選出した。
 こうして、スウェーデンは新たなヴァーサ王朝の下で、およそ120年ぶりに独立を回復したのだった。

大国の時代
 ヴァーサ朝初代グスタフ1世は独立運動指導者としてのみならず、王としても有能であった。彼は王主導でルター派を支持する宗教改革を推進し、カトリック教会の所領の没収と王領地の拡張を実現させた。反乱にも見舞われたが、グスタフ1世の40年近い治世でヴァーサ朝の基礎が築かれた。
 ヴァーサ朝の絶頂期はグスタフ1世の孫に当たるグスタフ2世アドルフの時代であった。彼が17歳で即位した当時のスウェーデンはバルト海の制海権をめぐるロシア、ポーランド=リトアニア、デンマークという周辺強国との紛争の最中という外交上困難な時期にあった。
 特にポーランドとの関係では、兼任していたスウェーデン王を退位させられた同じヴァーサ家出身のジグムント3世から王位回復の挑戦を受けたが、軍制改革で軍を強化したグスタフ2世は苦戦しながらもポーランドを退けた。
 一方、新教派のグスタフ2世はドイツに勃発した宗教戦争である三十年戦争にも介入し、有利に戦況を進めたが、王自身は1632年に不慮の戦死を遂げてしまう。しかし、スウェーデンはこの戦争にも勝利し、大国としての地位を確立する。
 戦争に明け暮れたグスタフ2世だが、国内的には名宰相アクセル・オクセンシェルナの補佐も得ながら、重商主義政策によって経済振興を図り、先の軍制のほか、行政・司法制度の整備などにも着手した。
 かくして北欧のみならず、バルト海に及ぶ新教派大国となったスウェーデンは、グスタフ2世を継いだ娘のクリスティーナ女王の時代には、女王の啓蒙主義的な素養にも支えられ、文化的にも大国としての風格を備えるに至った。
 独身のクリスティーナ女王は1654年、当初の予定どおり従兄に当たるドイツ人プファルツ家のカール(10世)に王位を譲り退位した。ここにヴァーサ朝は終焉し、ドイツ系プファルツ朝が成立するが、「大国の時代」は同朝にも継承されていく。

danger「大国の時代」のスウェーデンは、「栄光のゲルマン民族ゴート人はスウェーデンに発祥した」というナチスばりの政治的神話(ゴート主義)で自国の帝国主義的覇権を正当化していた。この民族主義的な神話はスウェーデンが大国の地位から滑り落ちていく18世紀には退潮する。同時に、以後ネイティブの王朝は二度と出現せず、すべてドイツ人やフランス人を祖とする外国人招聘王朝となるのである。 

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