« ワーグナーと政治 | トップページ | マルクス/レーニン小伝(連載第34回) »

2013年5月28日 (火)

マルクス/レーニン小伝(連載第33回)

第2部 ウラジーミル・レーニン

第5章 死と神格化

(2)忠実な相続人スターリン(続き)

レーニンとスターリン〈1〉
 レーニン死して、後継争いを制したスターリンの時代が到来した。世上しばしば「レーニンの正しい路線をスターリンが歪めたために、ソ連体制は最終的に失敗した」と言われてきたが、このような評価は果たしてどの程度妥当するのであろうか。
 スターリンが加えた歪みとして筆頭に挙げられるのは、生前レーニンが警戒していた党官僚制を肥大化させて党と人民大衆との著しい乖離を生じさせたことである。
 しかし、党官僚制はレーニンの持論であった中央集権的党組織論から必然的に生ずるものであって、レーニンと無縁のものではあり得ない。党中央委員会を頂点とするヒエラルキー的党組織は、党が政権を担うようになればそれ自体が国家官僚制の類似物に転化することは必定であり、10月革命後のレーニン自身もそうした党官僚の頂点に立ったわけである。
 ただ、レーニンは党官僚制に対する防波堤を労働組合に求めようとしていた。彼は労組を長期的に見て「すべての労働者に国民経済を管理すること」を教える「共産主義の学校」ととらえ、実際ネップ期には労組の自立性が相対的に保障されていた。
 しかし、労組にそこまでの役割を期待するのは、マルクスが労組に賃労働制廃止、つまりは革命的な役割まで期待していたことと同様、過大な要請であった。まして党官僚制がすでに強固に形成されつつある中、労組も党の支配下に置かれてしまっている状況で、労組に対抗力を期待することはほぼ不可能であったと言ってよい。スターリンはそういう現実を、自らも古参の党官僚として十分に理解していたのである。
 党官僚制の問題とともに、スターリンのレーニンに対する裏切りと非難されてきたのが、有為の人材の大量喪失を招いた「大粛清」である。
 この点、今日ではレーニン時代にも前に述べたような「赤色テロ」による大量抑圧のあったことが明らかになっている。ただ、レーニンの「赤色テロ」は党外の反革命勢力に向けられたものであったのに対し、スターリンの「大粛清」はまさに粛清、つまりは党内の反対派(と彼が疑った者)に向けられた内部テロであった点に大きな違いがある。
 しかし、レーニン時代にもすでに帝政ロシア秘密警察のスパイであったことが発覚した党幹部マリノフスキーに対する粛清という一件があったし、「大粛清」で多用された秘密警察―当時は内務人民委員部(NKVD)と改称されていた―を動員した裁判なしの、または略式裁判による収容所送致や銃殺といった方法は、すでにレーニン時代の「赤色テロ」でも使われていた適正手続無視の手法をスターリンが学習し、いっそう拡大・応用したものにすぎなかった。
 それにしても、レーニン時代にはこれほど大がかりな内部粛清はあり得なかったと言われるかもしれない。現象的に言えばそうであるが、内部粛清の理論的な淵源がレーニンの「鉄の規律」という党組織論にあることは否めない。「鉄の規律」は党内の異論派への非寛容を生み出し、粛清的雰囲気を高めるのである。
 実際、「大粛清」の序曲となった1936年‐37年のいわゆる「見世物裁判」で真っ先に標的にされたのは、10月革命蜂起に反対してレーニンが一時除名を検討したカーメネフとジノヴィエフであった。彼らは当時海外に亡命していたトロツキーと結託して反ソ活動を行ったとする虚偽の自白をさせられ、銃殺されたのであるが、彼らの粛清は20年前のレーニンの意思に基づくと見ることもできる。もっとも、レーニンは彼らの党からの抹消を望んだだけで、地上からの抹消を望んだわけではなかったのであるが。
 ちなみに、この「見世物裁判」で粛清された今一人の古参幹部は、スターリンが対トロツキー闘争の過程で一時手を組んだこともあるブハーリンであったが、彼もレーニン最晩年にレーニンから弁証法に対する無理解を指摘され、後継候補から事実上外されていた。
 こうしてみると、スターリンはレーニンからも問題視されたことのある人物たちを彼なりの仕方で最終的に“始末”したのだとさえ言えるのである。
 ただ、スターリンの「大粛清」が途方もない広がりを見せたことは、彼の個人的な性格によるところも大きかったのは事実である。スターリンの性格の特異性は極端なまでの猜疑心の強さにあった。スターリンは他人の些細な態度や言動の中に不忠と裏切りの臭いを嗅ぎ取るのであった。おそらくそれは晩年のレーニンが指摘した粗暴さよりは、むしろ小心さの表れと見るべきものであろう。
 そうしたスターリンの小心さが当時ヨーロッパ方面におけるドイツ、極東における日本の脅威が高まり、第二次世界大戦の足音が迫る中、彼の猜疑心を病的なまでに増幅させていたのである。

レーニンとスターリン〈2〉
 政策的な面でスターリンがレーニンを裏切ったと言えなくないのは、ネップを早々と廃止して農業の全面的集団化に踏み切ったことである。
 しかし、ネップは元来、農民反乱を抑えるための慰撫策の側面が強かったうえ、レーニン存命中から農民の売り渋りによる食糧難という新たな問題を抱え込んでおり、とうてい持続可能な政策ではなかったのである。
 もっとも、そこから一挙に農業集団化へ飛躍したことで新たな農民反乱を招くこととなったが、元来ボリシェヴィキの農業綱領は土地の国有化を前提とするものであったし、スターリンの農業集団化政策の中で基礎的な単位集団と位置づけられた協同組合(コルホーズ)はレーニン最後の論文の中で提示されていた協同組合構想にも十分合致する制度であった。
 農業集団化に合わせてキャンペーンを打たれた「階級敵としての富農絶滅」は農民反乱を鎮圧するための公安政策であり、実際、集団化に抵抗する農民は「富農」の烙印を押されてシベリア送りや財産没収の対象とされた。このような抑圧もレーニン時代の食料割当徴発制の時に用いられた手法の応用にほかならなかった。
 他方、1928年度から始まった第一次五か年計画も、ネップ期の21年に設置されていたゴスプランの記念すべき初仕事であった。
 こうしてみると、ネップの廃止もその時期の問題はともかく、レーニンの遺志に反するようなものではなく、レーニン政権が存続していたとしても、いずれは実施されるはずのことだったのである。
 政治路線的な面では、スターリンが当初ソ連一国でも社会主義の建設が可能だとする一国社会主義から第二次世界大戦を経てソ連中心の帝国主義的膨張へ転回していったことも、レーニンからの逸脱として論議の的となってきた。
 しかし、一国社会主義もレーニンが第一次世界大戦中の1915年に書いた論文「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」の中ですでに提起していたことであった。彼はこの論文の中で、資本主義の不均等発展の法則を立て、そこから初めは少数または一つの国だけで社会主義を建設することも可能だと論じていたのである。
 しかし、図らずもドイツ革命が連鎖的に起きたため、レーニンもドイツ革命支援の目的を込めてコミンテルンの設立を急いだのであったが、臨機応変の無原則主義者であった彼はトロツキーのように世界革命なくしてソ連の社会主義建設は進まないとまでは考えていなかった。
 スターリンはレーニンの理論を教条化することができる程度にはレーニン理論を学習していたのであって、世界革命論で理論武装したトロツキーへの対抗上、レーニンの一国社会主義論を引っ張り出してきたのである。従って、これも決してスターリンがレーニン路線から逸脱したのではなく、レーニン路線の継承なのである。
 しかし、そこから新帝国主義へ転回していくのはさすがにレーニンとは無縁のように見える。ここにはスターリン政権初期の工業化の進展と第二次世界大戦を通じてソ連がアメリカのライバルとして急浮上していくというレーニンも予見できなかった新たな国際政治経済状況が関わっている。
 とはいえ、レーニンとボリシェヴィキを支援する各国政党の国際組織として始まり、実際レーニンの「テーゼ」を追認ばかりしていたコミンテルンは、すでにしてインターナショナリズムならぬインペリアリズムの芽となりかけていたのではないだろうか。
 最後に、本質的に実務者であったスターリンが苦手とした哲学的な基礎理論の面でも、彼は弁証法をひどく単純化して対立物の統一という原理に限局しようとしたとの批判がある。しかし、これについても、エンゲルスによる弁証法の図式化をいっそう進めて弁証法の核心を対立物の統一に見ようとしていたレーニンの未完の書『哲学ノート』をスターリンはやはり“学習”していたに違いない。
 以上の検討からして、スターリンはレーニンの背信者などではなく、実は案外忠実な相続人であったことが理解される。本来、スターリン主義とはレーニン‐スターリン主義と連記されてもよいものであったのである。
 そう理解することで、今日何かとソ連体制の元凶として非難されがちなスターリンの名誉回復ともなろうというものである。同時に、そう理解することで、レーニンをスターリンから切り離して讃美することもできなくなり、スターリンの暗部はレーニンの暗部と二重写しになってくるはずである。
 スターリンは特異な個人崇拝体制を築いたが、これも彼が神格化したレーニンの威を借りて初めて可能となったことであった。スターリンとはレーニンという死んだトラの威を借りたキツネにすぎなかったのである。

« ワーグナーと政治 | トップページ | マルクス/レーニン小伝(連載第34回) »

〆マルクス/レーニン小伝」カテゴリの記事

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31