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2012年10月11日 (木)

マルクス/レーニン小伝(連載第6回)

第1部 カール・マルクス

第3章 『資本論』の誕生

この年と次の二年間(注:1850年‐53年)は、私どもにとって外的に数々の極めて大きな心配が襲ってきた時期で、たえず心を蝕む不安と、あらゆる種類の窮乏、本当の貧乏が続いた。
―妻イェニー・マルクス

(1)初期の経済学研究

flag『経済学・哲学草稿』
 前章でも触れたように、パリ遊学時代にエンゲルスの論文「国民経済学批判大綱」に接したマルクスは経済学研究の重要性を認識し、以後スミスやリカードウを中心に古典派経済学の研究を鋭意進めていく。その予備的な成果が今日『経済学・哲学草稿』(以下、単に『草稿』という)として公刊されている初期の著作に収められている。
 これは経済学及び哲学にわたる種々の主題を試論的に展開するまさに草稿であって、マルクス生前には公刊されず、1932年になってソ連の研究所の手で編集・公刊されたものであるから、二次性と断片性を免れないのであるが、この草稿には青年マルクスの思想的キーワードと目される「疎外」の概念が鮮明な形で現れる点で、ヒューマニスト・マルクスの到達点を画する作品とみなされている。
 この「疎外」概念は、マルクスの最初の思想的転回点となった論文「ユダヤ人問題に寄せて」の中で、貨幣の本質に絡めて「貨幣は人間の労働と人間の現存在とが人間から疎外されたものであり、この疎遠な存在が人間を支配し、人間はそれを礼拝する」という形で提示されていた。
 『草稿』にあっては、このテーゼを資本主義社会における賃労働全般にまで拡大し、「疎外された労働」という定式化を試みている。それはまだ十分に分節化されていないため、熟した定式ではないが、要するに資本主義の下では労働者は他人の利潤追求の道具として他人に属する物の生産に従事することを個人的な生活、ひいては生命を保続するための手段とせざるを得ないことによって、共同存在という人間性の本質を喪失させられてしまうという批判理論である。
 これを労働者を雇用する資本の側から見れば、労働者も他の商品と同様に、その価値が需要と供給によって変動する一つの商品とみなされ、労働者が死滅してしまうことのないようかれらの生活のために支払われるべき労賃は他の生産手段の維持・修繕等に支出される費用とともに、節約すべき必要経費であるにすぎないという。
 このような概念規定には、後にマルクスが仕上げることになる有名な「剰余価値」の概念とその論理的前提となる労働力=商品論のモチーフがすでに認められるが、『草稿』の段階ではまだヒューマニスティックな倫理学的把握を出ておらず、後年のマルクスが強調する「科学的」把握には到達していなかった。
 しかし、これ以降本格的に推進されるマルクスの経済学研究は、「疎外」概念を―マルクスによれば科学的に―突き詰めていくことに全力が傾注されると言ってよいのである。その際、ヒューマニズムは彼の経済学研究の通奏低音として鳴り響き続ける。そういう意味ではマルクスの「科学」とは通常言われるような歴史の科学でも経済の科学でもなく、人間の科学(人間科学)となるはずである。

(2)プルードンとの対決

flagプルードンとの出会い
 マルクスが経済学研究をいっそう進展させるに当たっては、フランスの社会主義者ピエール・ジョセフ・プルードンとの出会いが重要な契機となっている。
 1809年生まれでマルクスよりも一回り年長のプルードンは貧困家庭に生まれ、印刷工として生計を立てながら独学でフリーランスの反体制的な著述家となり、後には投獄も経験した政治的闘士でもあった。マルクスのパリ遊学時代には「財産、それは盗みだ」のセリフで有名な主著『財産とは何か』がセンセーションを呼び、プルードンはフランスを中心に社会評論家として声望を持っていた。
 彼はまた論文「政府とは何か」の中で、「政府に統治されるとは、そうするだけの権利も見識も美徳もない連中によって監視され、検分され、スパイされ、指示され、法的に強制され、番号化され、規制され、登録され、教化され、説教され、統制され、調査され、評価され、査定され、検閲されることの謂いである」と論じるアナーキズムの祖でもあった。
 当初プルードンの『財産とは何か』に感銘を受けた一人であったマルクスはパリでプルードンの知遇を得て交流を深め、特に経済問題について徹底した意見交換をしたという。
 しかし、この出会いはエンゲルスとのそれのようにはいかなかった。プルードンとマルクスの間には大きな溝があったからである。面白いことに、裕福な有産階級出身のエリート・マルクスがすでにプロレタリアートによる人間解放という視座を引っ提げていたのに対し、無産階級出身の独学者プルードンにとっては皆が平等に小財産を持ち、互いに助け合いながら自治的に社会を営む連合主義が理想なのであった。これでは二人の息は合わないはずであった。

flag『貧困の哲学』対『哲学の貧困』
 マルクスとの理論的相違の深さを十分に認識していなかったプルードンは1846年に出した大著『経済的諸矛盾の体系、あるいは貧困の哲学』(以下、『貧困の哲学』という)を前年ブリュッセルに亡命していたマルクスに早速送付し、称賛を期待しつつ批評を求めた。
 この本は古典派経済学と既成の社会主義理論についてプルードンなりに体系的な批判を加えたつもりのものであったが、すでにプルードンに批判的になっていたマルクスはこれを好機ととらえ、翌47年、全面的な批判の書『哲学の貧困‐プルードンの貧困の哲学に対する回答』をフランス語で公刊したのである。
 ちなみに、本のタイトル『哲学の貧困』は言うまでもなくプルードンの書『貧困の哲学』を逆さまにもじったもので、多くの友人を離反させてしまうマルクス独特の皮肉っぽいポレミックな性格がよく示されている。
 この本におけるマルクスのプルードン批判の骨子は大きく二つあり、一つはプルードンがリカードウを生半可に解釈して導き出した「一定量の労働は同一量の労働によって作られた生産物の価値に等しい」との命題への批判である。
 マルクスによれば、この命題は全くの誤謬である。労働はそれ自体商品であるから、商品としての労働を生産するのに要する労働時間によってその価値が測られるのであり、その労働時間とは労働の不断の維持のため、すなわち労働者を生活させ、その子孫を繁殖させ得るために不可欠な物品を生産するのに必要な労働時間のことにほかならないという。
 従って、この労働時間によって測られた価値としての賃金と、この賃金の下で労働者によって生産された物の価値とは等しくならない。それどころか、労働の自然価格は賃金の最低限をなしている。裏を返せば、労働者は賃金に見合った価値以上の価値を創造させられている。
 こうしたマルクスの「回答」は、価値を創造する人間の肉体的・精神的力量としての「労働力」と価値を創造する働きそのものである「労働」とが混同されていたり、労働(力)の自然(通常)価値は最低賃金に等しいといった誤謬命題にとらわれていたりする理論的な欠陥をなお免れていないものの、ここには「疎外」という倫理的概念を科学的とされる「剰余価値」理論へ練り上げていく手がかりが芽生えている。
 マルクスのプルードン批判のもう一つの論点は、プルードンがヘーゲル弁証法の貧弱な援用を通じて―この点こそが本のタイトル『哲学の貧困』の由来である―、現存社会の悪い面を除去し良い面を助長するといった社会改良主義にとどまろうとする不徹底さへの批判である。これに対して、マルクスは未公刊に終わった『ドイツ・イデオロギー』で展開していた唯物史観を改めて対置し、プロレタリア革命の必然性を論じる。彼によれば、プルードンは科学者としてブルジョワとプロレタリアとの上を天駆けようと欲しているが、実際は資本と労働の間を、経済学と共産主義の間を絶えず揺れ動くプチ・ブルジョワにすぎない。
 最後に、革命前夜における社会科学の最後の言葉として、「戦闘か然らずんば死か、血みどろの闘争か然らずんば無か」というフランスのフェミニスト女流作家ジョルジュ・サンド―マルクスとも交流があった―の名言を引いて締めくくられるこの書はマルクスにとって初の経済理論書であり、彼の本格的な経済学研究の出発点に位置づけられる作品となったのである。

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