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2012年10月31日 (水)

指の体操競技

 最近の内外の若手ピアニストたち―さしあたりクラシック分野に限定する―は実によく指が動く。ピアニストというより、アスリート(ピアノアスリート?)と呼んだほうがいいくらいだ。いわゆる「技巧派」揃い、超の付く「超絶技巧派」も珍しくない。ピアノに向かっていた時分、指のもつれに悩まされた者からすると羨ましい限りである。
 たしかに、ピアノはオルガン、さらにはアコーディオンなども含む鍵盤楽器の中でも指の体操的な側面が強く、指の運動神経なしには高度な演奏は無理であろう。
 それはそれとしても、近年の若手技巧派の演奏はどうも機械音のように聞こえることが多い。いわゆるメカニックな演奏スタイルである。私見ではピアノの機械的演奏ほど味気ないものはない。音を出すだけならジョークでなく猫が触っても音が出るのがピアノであるが、それを音楽的に響かせるには単なる技巧を超えたタッチが必要であるはずだが、そういう理想のタッチを徹底追求しようとする若手は少ないように見える。
 その要因として、コンクールの全盛という現実があるだろう。かつてはポピュラー音楽の世界のようにコンクール歴なしの即デビューも可能だったのと異なり、クラシック音楽の世界ではコンクール歴が一般世界の学歴に代わるデビュー・パスポートとして定着してきたため、内外に多数のコンクールが林立している。特にピアノ・コンクールは数が多いので、実質的なデビューに漕ぎ着けるには、内外のコンクールで優勝・入賞歴を重ねる必要がある。
 コンクールでは順位をつける必要から採点評価が行われるので、審査員間の意見対立で順位が決まらない事態を避けるためにも客観評価に偏りやすい。楽器演奏で客観評価と言えば、技巧のレベルである。いきおい、コンクールでは技巧派が上位入賞する傾向が強まり、音楽的には優れていても技巧に難があると、落選の憂き目を見やすい。
 他の楽器の状況はよく知らないが、現代のピアノ・コンクールとは事実上スポーツの競技会と化していると言って過言でないかもしれない。要するに音楽とスポーツの境界が接してきているわけで、将来はピアノ演奏が「指の体操競技」としてオリンピック種目になる日も来るのでは?などと考えてしまうのである。

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