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2012年4月27日 (金)

犯罪と非処罰(連載第14回)

13 未遂犯・共犯について

pencil「非処罰」の構想の下では、犯罪の成立に関わる犯罪総論上の問題でも、いくつかの重要な理論的変容が生ずる。
 その一つは未遂犯に関する問題である。犯罪の実行に着手するも所期の結果が発生しなかった場合としての未遂犯は、日本刑法上任意的な刑の減軽事由とされている(刑法43条本文)。
 しかし、例えばAが強固な殺意をもってBの胸をナイフで刺し致命的な傷を負わせたが、Bは奇跡的に一命を取りとめたというように、偶然の事情によって所期の結果が生じなかったにすぎない場合(障害未遂)を含めて任意的減軽事由とするのは、殺人という結果の有無を偏重する応報刑的発想の一つの帰結にほかならない。
 「犯罪→処遇」定式からすれば、障害未遂犯は自己のあずかり知らない全く偶然の事情によって既遂犯となることを免れたにすぎない以上、処遇の上で既遂犯と区別する必要は全くないのである。
  処遇上既遂犯と区別すべき未遂犯とは、例えばAが殺意をもってBの胸をナイフで刺したが、ためらいがあり、強く刺さなかったため、Bは軽傷で済んだというように、故意が弱いために所期の結果が生じなかった場合(減弱未遂)である。
  かかる減弱未遂犯も故意をもって殺人のような重大な犯罪の実行に着手した以上、一般的に犯罪性向が低いとは言えないが、ためらいがあって故意が弱かったため犯罪を完遂できなかったという限りでは、病理性は低く、最大でも第二種矯正処遇が相当であろう。
 なお、こうした減弱未遂犯の処遇は犯罪法総則で画一的に定めるのでなく、各則で各犯罪ごとに個別に定められる。なぜなら、減弱未遂犯の処遇のあり方も、各犯罪の特性に応じて異なるからである。

pencil以上に対して、実行に着手しながらも自己の意思によって実行を中止して自ら結果発生を防止した場合(中止未遂)、日本刑法上は必要的な刑の減免事由とされている(刑法43条但し書き)。これは自ら故意を撤回して中止行為をしたことを有利に斟酌して、最大で刑の免除の恩典を与えようとするものである。
 しかし、中止未遂犯に対して刑を免除して何ら処遇しないのは行き過ぎである。これは中止未遂犯を有利に取り計らおうとするあまりに応報刑論的発想の振り子が不罰の方向にぶれすぎている一例である。刑罰の本質を犯罪への反作用的な報復ととらえる応報刑論にあっては、自ら結果発生防止の努力をした中止未遂犯に報復としての刑罰を加えるのは忍びない場合もあるというわけであろう。
 こういう「温情主義」は片や、殺人が既遂に達すれば一転、日本刑法上は最大で死刑もあり得る「厳罰主義」と表裏一体のものなのである。
 この点、「犯罪→処遇」定式からすると、中止未遂犯といえども犯罪の実行そのものを見合わせたのでなく、いったんは犯罪の実行に着手している以上、微弱なりとも犯罪性向は認められ、最低でも保護観察に付する必要はあると言わざるを得ない。
 一方、犯罪の中止行為者は単にためらうにとどまらず、故意を撤回して結果発生防止の努力をした限り、犯罪性向の低さを示していると言えるから、努力が実らず意に反して結果が発生してしまった場合でも重い処遇には相当しないだろう。
 そうだとすると、結果発生の有無を問わず、犯罪の実行に着手した後、自ら結果発生防止のための中止行為をした者は最大でも第一種矯正処遇にとどめる規定が犯罪法総則上に置かれるべきである。この意味で、「中止未遂犯」という概念は「中止犯」という包括的概念に吸収されることになる。

pencilところで、未遂犯に関わる問題とともに「非処罰」の構想の下で理論的変容が生じ得るのは、共犯に関わる問題、中でも教唆犯に関してである。
 日本刑法上、教唆犯とは「人を教唆して犯罪を実行させた者」と定義されているため(刑法61条1項)、例えばAがBにCの殺害を唆したところ、Bは怖気づいて結局何もしなかったというような場合に、Aに殺人教唆罪は成立しないことになる。
 ここでもやはりC殺害の事は何も起きなかったという結果が重視されている点で、応報刑論的な発想が貫徹されているのである。
 しかし、BがCを殺害しなかったのは、Aのあずかり知らないBの独断によるもので、Aとしては自分の教唆どおりにBがC殺害を実行したものと信じていたのに、BのみならずAも無罪であるというのはいささか納得し難い結論である。
 このような場合、Bが独断でC殺害を取りやめたことによってAがBに殺人を教唆した事実が取り消されるわけではない以上、Aは殺人教唆犯として正犯に準じた処遇を受けるべきなのである。
 従って、教唆犯は現行日本刑法上の規定とは異なり、「人に犯罪の実行を教唆した者」と定義し直されることになる。要するに、教唆犯は正犯とは独立的に成立する犯罪構成要件の修正形態であるということになる。
 ちなみに、先の例で教唆犯A自身が改心してBにC殺害を取りやめるよう明確に指示した場合のように、教唆犯が被教唆者に犯罪の実行を撤回させるに足りるだけの具体的な中止の働きかけをした場合は、仮に被教唆者が指示を無視して実行に及び、結果を生じさせてし待ったとしても、先の中止犯の規定により中止犯としての処遇を与えるべきである。

pencil以上に対して、ある者が正犯を幇助することによって成立する従犯では事情を異にし、正犯から独立して従犯が成立するということはない。
 例えば、AがC殺害を企てていたBから頼まれて所有する拳銃を貸したが、Bは怖気づいて結局何もしなかったという場合、Aの拳銃貸与はBにとって何ら役に立たなかったのであるから、Aに殺人幇助の罪が成立することはない。
 また、Bが計画どおりCを殺害したが、Aから借りた拳銃は使用せず、自分のナイフで刺殺したという場合も、Aの拳銃貸与はBがCを殺害するに当たって役に立っていない以上、Aに殺人幇助の罪は成立しない。
 もっとも、この場合、Aの拳銃貸与がBを勇気づけたというように、精神的な面で役立った限りAに殺人幇助の罪が成立するとされるが、そうした精神的な幇助関係はひとえに正犯側の主観的な事情にかかるものであるから犯罪とみなすべきではない。従って、従犯とは厳密には「正犯を物理的に幇助した者」と定義されるであろう。
 なお、日本刑法上「従犯の刑は、正犯の刑を減軽する」と規定され(刑法63条)、従犯は刑の必要的減軽事由となっている。これは従犯の従属性を考慮して、正犯より常に軽い処分を科す趣旨である。
 この点、「犯罪→処遇」定式からしても、従犯は消極的・受動的な共犯形態であって、一般的に犯罪性向は低いから、第一種矯正処遇または保護観察に相当するとみてよい。
 ただし、犯罪組織のメンバー間での幇助はむしろ犯罪組織内の日常的な「業務」と言える性質を有するから、組織犯罪法が適用される従犯に関しては、正犯に準じた処遇が与えられて然るべきである。

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