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2012年2月 5日 (日)

〈反差別〉練習帳(連載第40回)

実践編

レッスン8:性差別(続き)

例題2:
[a] あなたは女性の「母性本能」の存在を信じるか。

1)信じる
(2)信じない
(3)わからない

[b] あなたは「男らしさ」という価値を肯定するか。

(1)肯定する
(2)肯定しない
(3)わからない

 性差別の中でも歴史的にエース級であり続けてきたのが、女性差別である。とはいえ、この問題への取り組みは差別問題全般の中では最も進んでいるため、近年熱を込めて論じられることは少なくなったが、それでも女性差別は根絶されてはいない。その女性差別の最後の砦となっているのは、「母性」という観念だと思われる。
 最後の砦とあえて言うのは、少なくとも先進諸国では露骨な男尊女卑思想は、それを個人的に抱くことは別としても、公式には通用しなくなっているからである。「両性の平等」は、もはや取り消しのきかない公理として定着している。
 ところが、「母性」という観念はなお息づいており、当の女性自身が自らの「母性本能」の存在を信じていることも意外に多いのではないだろうか。
 この「母性」という観念は決して女性を直接に卑しめるものではなく、むしろ母なる女性を称賛し、持ち上げているのだが、同時に母性を父性に対して従属的・補助的なものとして劣等視もしている。その意味で、これはいわゆるほめ殺しのようなもので、理論編で見る利益差別の一種とも言える。
 実際のところ、「母性」という観念は労働の分野でも「女性向き」とみなされるいくつかの職業では、女性に極めて有利な地位を与えている。例えば、看護師、保育士、秘書などである。これらの職業が「女性向き」とみなされているのは、そこに「母性」で優しく包むようなイメージが込められているからであろう。
 反面、これらの職業には男性が就きにくく、「男性差別」という逆転現象も生じてくる。こうした逆差別としての「男性差別」は「女性差別」と全然無関係なのではなく、その主要な要因は、実は「母性」という名の女性差別観念にあり、言わば女性差別のしわ寄せ的な副産物なのである。
 他方で、「母性」を強調していくと、それによって女性は「女性向き」とされるいくつかの限られた有利な職業以外の領域では、非正規労働やパート労働のように男性より不利な扱いをされ、究極的には母親業に専念すべく「専業主婦」という立場に押し込められることにもなる。
 もっとも、「母性」という観念を信じるかどうかは個人の自由だとも言えるが、「母性」に対する信念は、客観的に見れば両性にとって決してプラスにはならないであろう。
 一方、[b]の「男らしさ」という価値であるが、近年は「男らしくない男」が増えた(?)せいか、「男らしさ」という言葉も以前ほど聞かれなくなった感もある。それでも、まだ死語になったわけではない。
 「男らしさ」の対語として「女らしさ」という言葉があるが、使用頻度では「男らしさ」のほうが高いだろう。この「男らしさ」は[a]で見た「母性」と直接の対語にならないが―「母性」の対語は「父性」―、「女らしさ」として表象される特性の多くは「母性」と結びついているため、実質上「母性」と「男らしさ」は対とみなすこともできる。
 この「男らしさ」という語は、よく考えてみると内容空疎で、ただ漠然と力強さとか勇猛さを象徴する言葉として観念されているが、それだけにかえってわかった気になりやすく、一人歩きしがちである。
 その結果、「男らしさ」は単なる精神論的な観念を超えて、社会的な力の象徴ともなり、「社会を指導するのは男性であるべきだ」という社会編成上の原理にまで昇華されていく。
 すでに家父長制が解体された先進社会にあっても、なお社会の中心に男性の姿が圧倒的に目に付くとすれば、それはまだ「男らしさ」のような価値が残されているためであろう。しかも、女性の中にすら「男らしさ」という価値をなおも肯定する向きがあるかもしれないが、それは回りまわって女性自身の地位を低める結果をもたらすであろう。
 ここで「男らしさ」という語を差別語と断ずれば、反発を受けかねないが、「男らしさ」の形容詞形「男らしい」の直接的な対語「女らしい」とは別に、「女々しい」という実質的な対語―その直接的な対語は「雄雄しい」―がある。この語には「弱い」とか「卑怯な」という意味すらあって、しかも「女々しい男」のように「男らしくない男」の差別的形容としても使われる。
 「女々しい」は「女々しい女」が激減した(?)今日、ほぼ死語に近いとはいえ、女性一般を弱いものとみなす否定的な語であり、今日の意識水準からすれば明らかに差別語である。従って、これと実質的な対語となる「男らしい」という表現も、その反面で女性を劣等視する反面差別語と言ってよい。
 さて、今回の練習は前回と同様、やや抽象度の高いものとなったが、女性差別の根源的な克服のためには、「母性」とか「男らしさ」などの言葉に込められたある種の神話的観念を日頃から問い直す必要があると考える次第である。

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