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2012年1月19日 (木)

〈反差別〉練習帳(連載第34回)

実践編

レッスン6:職業差別

[まとめと補足]

 職業が世襲的身分と不可分一体であった前近代において職業差別は身分差別、ひいては階級差別と同義であった。しかし、産業社会における複雑な分業制の下、職業が理論上―あくまでも―“自由に”選択可能なものとなってくると、職業は個人の人格と結びつけられるようになる。
 ことに何ら職業を持たない「無職」の人間がそれだけで人間失格者のような差別的扱いを受けるのは、自給自足制が完全に崩れ、高度な分業制が確立された社会においては、「人間=職業人」という等式が支配的になるからである。
 このように、現代の職業差別はレッスン5で取り上げた犯罪者差別と同様に、人格価値の優劣に関わる差別であるため、外面的な視覚的表象とは無縁のようにも見えるが、決してそうではない。
 職業差別では被差別者との社会的接触を忌避する「不可蝕」の形態をとりやすいと指摘したが、この「不可蝕」とは被差別者を「汚らわしい人間」とみなす視線に由来している。なぜ特定の職業に就いている者を「汚らわしい」とみなすかと言えば、その職業はたいていゴミや汚物、血などを扱う「汚れ仕事」だからなのである。
 このことは、日本の前近代における職業=身分差別にあっても、そうした「汚れ仕事」を都市から委ねられていた最下層身分者をケガレとみなしていたことにすでに表われている。このケガレはまだ宗教的観念の域を出ていなかったが、これが近代的な衛生観念に置き換わるや、今度は「不衛生な職業」に就いている者への蔑視に変容したのである。
 もっとも、無職者に対する差別の場合にはそうした視覚的表象はあまり介在していないように見えるが、野宿生活者に対する差別となると、野宿生活者の「汚い」外見に対する嫌悪や憎悪すらも込められた視線に由来していることは明らかであろう。
 こうした職業差別事象の中でも、歴史的な沿革を持つカースト制や部落差別に関しては、まがりなりにも社会問題として自覚され、克服の取り組みも政策的なレベルでなされてきたところであるが、「3K」問題や野宿生活者問題などの現代的職業差別事象についてはいまだしであり、ともすれば「3K」仕事を外国人労働者に押し付けようとしたり、「浄化作戦」のように差別的な政策的対応がなされることもある。
 職業差別はそれを抱える各国の社会経済構造とも密接に関連するため、その根本的な克服は単なる〈反差別〉の視座を超えた問題であるが、さしあたっては、職業と人格とを直結させる思考法を改めることである。つまり、「汚れ仕事」に就いていようと、また職についていなかったり、野宿生活であったりしようと、人格的に尊敬に値する人は存在する(逆もまた真なり)。考えてみればごく当たり前のこの真実を再確認すればよいだけである。
 これは、外見の美/醜だけで人間の人格価値を見定めず、内面の美を重視するあの「内面性の美学」の活用場面の一つであることに気づかれるであろう。

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