« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月24日 (火)

〈反差別〉練習帳(連載第36回)

実践編

レッスン7:同性愛者差別(続き)

例題3:
[a] あなたは「同性間でも結婚を認めるべきだ」との提案を支持するか。

(1)支持する
(2)支持しない

[b] 「同性婚は認めない代わりに、同性カップルにも既婚者に準じた法的地位(例えば相続や財産の共有)を保障する制度を創設すべきだ」との提案についてはどうか。

(1)支持する
(2)支持しない
(3)わからない

[c] ([a][b]ともに「支持しない」とする人への質問)その理由は何か(自由回答)。

 同性愛者が同じ立場の伴侶を見つけること自体容易でないはずだが、首尾よく見つかったとしても、現在の日本民法上、結婚は異性間のみに限定されているため、二人が結婚することはできない。
 このように結婚から同性愛者を排除していることが直ちに差別に当たるかと言えば、必ずしもそうとは言い切れない。
 というのも、本来、結婚とは単に伴侶同士の法的地位を保障することにとどまらず、子どもを産み育てるという次世代の再生産を促進する社会的な責務としての性格をも帯びているために、生殖作用のあり得ない同性間の結婚は想定外のこととされてきたからである。このことは同性愛者を劣等視しているというよりも、本質上異性愛的な婚姻という制度の本旨に由来する除外とも言える。
 とはいえ、[a]の提案のように、結婚を同性間にも開放することは、一つの画期的な包容政策として評価できるように見える。実際、数は少ないものの、同性婚を認める国(国内の州を含む)も欧米を中心に出てきており、こうした問題ではおおむね保守的なアジアでも台湾などで検討中とされる。
 ただ、本質的に異性愛的な結婚制度の中に同性愛者を回収的に取り込むことが、真の包容と言えるのかは一つの論点である。結婚とはどう粉飾しても夫>妻という非対称な関係を払拭し切れない制度であるところ、同性愛者間に夫と妻という役割規定は通常存在しないから、その関係を結婚に当てはめることはできないのではないかという考え方もあり得るところである。むしろ同性愛は古典的な結婚制度を打破していく社会的な原動力たるべきではないか━。
 そう考えるならば、[b]の提案のように、結婚とは別立てで、同性愛者向けに結婚に準じた制度を用意しようという提案のほうがベターにも見える。言わば同性愛者専用の特別結婚制度(以下、同性間パートナーシップという)である。
 実は、このような制度のほうが同性婚よりも先行して世界的に普及し始めているが、それはおそらく同性間パートナーシップならば、同性婚に否定的な人たちでも辛うじて賛同可能なため、早期実現の見通しが立ちやすいからということもあるのだろう。
 しかし、このように異性愛者⇒結婚、同性愛者⇒同性間パートナーシップという振り分けをすることは、まるで人種隔離政策のように、同性愛者を結婚とは別枠的な制度に“隔離”するに等しく、あの「分離すれども平等」の詭弁と同じだという批判もある。
 こう見てくると、本例題の[a]と[b]いずれも「支持しない」とする見解も、それだけで差別的と断じることはできないことになろう。いずれも支持しないとする見解が差別性を帯びるのは、[a]と[b]いずれの提案もそれを認めれば同性愛を容認することになるからという明白に反同性愛的な理由づけによる場合である。
 それにしても、[a][b]いずれの提案も見込みがないとしたら、同性カップルは何の法的保障もないまま、事実上の“内縁”関係を続けるほかはないのだろうか━。
 必ずしもそうではないのだが、これは性差別問題とも絡む難問であるので、次のレッスン8で改めて取り上げることにしたい。

2012年1月23日 (月)

〈反差別〉練習帳(連載第35回)

実践編

レッスン7:同性愛者差別

例題1:
[a] あなたがある日、自分の子から同性愛者であることを打ち明けられたとしたら、どうするか。

(1)勘当する
(2)悲観する
(3)受容する

[b] あなたがある日、同性の親友から同性愛者であることを打ち明けられ、恋人としての交際を求められたとしたら、どうするか。

(1)絶交する
(2)理解はするが、交際は断る
(3)交際を受け入れる

 同性愛者問題は、日本社会では公に話題にすることさえタブーとされがちであるから、あなたが異性愛者である場合、いずれの事例でもあなたの当惑・動揺は大きいと想像される。
 もっとも、[a]の事例では自分の子が同性愛を打ち明けたというだけで勘当に飛躍する人は少ないかもしれないが、我が子が“性的異常者”であったとわかり、ショックを受け、悲観するという人は少なくないと思われる。
 たしかに、同性愛は普遍的ではないという点では非日常であるが、決して疾患でも異常心理でもなく、日本の法律上は犯罪でもないから―海外にはいまだに同性愛を犯罪として処罰する国もあるが―、親として悲観しなければならない理由は特にない。外見から直ちに同性愛者とわかるようなこともないので、“世間体”を気にする必要もない。
 むしろ、同性愛は通常思春期以降にそれを自覚するようになった本人自身が誰にも打ち明けられず、独りで苦悩した末に、理論編でも見た自分で自分で劣等視する自己差別へ赴きやすいことから、あえて親に打ち明ける決断をしたあなたの子は、親であるあなたの理解を得て、自己差別を克服しようとしているのかもしれない。
 従って、あなたとしては親に打ち明ける決断をした子の気持ちを受け止め、まず何はともあれ、受容することから入っていくことが期待されている。
 これに対して、[b]の事例はやや複雑である。これも単に親友から同性愛の事実を打ち明けられたというだけであれば、理解することは難しくないかもしれないが、恋人としての交際まで求められたとなると、話は違ってくる。
 もちろん、たまたまあなた自身も同性愛者であれば、以後は恋人として交際することもできよう。しかし、確率的に言って、あなたは異性愛者である可能性が高く、当惑は想像に難くない。
 もし、あなたが今まで親友と思ってきた相手が実は同性愛者だったとわかり、友情が軽蔑に変わって絶交するというならば、それは同性愛者を劣等視する差別である。
 ただ、親友が唐突に同性愛を告白し、恋人としての交際まで求めてきたことを非常識だと感じ、憤慨して絶好するとなると、劣等視とは違い、いちがいに差別と言い切れないだろう。
 とはいえ、あなたの親友もあえて真実を打ち明け、恋人としての交際まで求めてきたからには、よほどあなたに信頼と好意を寄せていたはずで、そう悪意があるとも思えない。従って、親友の態度をいちがいに非常識と断じることもできないように思われる。
 かといって、異性愛者であるあなたが親友と改めて恋人としての交際をするのも無理であろうから、[b]の事例のような状況で最も妥当な包容行為は、(2)の「理解はするが、交際は断る」であろう。この場合、あなたには恋人としての交際については断る権利があるので、断ったからといって差別には当たらないわけである。

例題2:
職場や学校などで、同性愛者が自らその事実を公表すること(カミングアウト)を不快と感じるか。

(1)感じる
(2)感じない

 同性愛者にとって、人生の一大関門と言えるのが、このカミングアウトであると言われる。同性愛者差別が依然根強い中では、カミングアウトが現在の立場・地位や名声の喪失につながるリスクも高く、重大な決断を要するからである。
 かといって、差別・迫害を恐れる同性愛者が終生その事実を秘匿し続け、同性愛者として生きることができない状態に置かれること(いわゆるクロゼット)は、それ自体が一つの被差別状況にほかならない。
 そこで、職場や学校で同性愛者が自由にカミングアウトできるようになることは一つの理想状況であるが、ハードルは高いであろう。そうしたカミングアウト自体を不快と感じるという異性愛者もまだ少なくないと思われるからである。
 特に、仕事の性質上同性が多い職場や、男子校・女子校などでは、ある種の「規律」の観点が持ち出されて、カミングアウトに否定的な見解が支配的であるかもしれない。
 しかし、カミングアウトによって職場や学校の規律が即乱れるということは考えられず、「カミングアウト禁止令」のような内規ないし学則は「規律維持」に仮託した転嫁的差別と言ってよいだろう。
 一方で、人は自らの性的指向を公表しなければならない義務を負うわけではないから、同性愛者にカミングアウトないしは申告を強制するようなことは重大なプライバシー侵害となり、場合によってはそうした強制自体が差別に当たることもあり得る。同性愛者差別が根強い現状では、差別からの自衛策として、あえて“クロゼット”を選択せざるを得ない場合もある。
 要するに、カミングアウトするかどうかは各同性愛者の生き方に関わる問題であり、何ぴともその自己決定に干渉することは許されないのである。

2012年1月19日 (木)

〈反差別〉練習帳(連載第34回)

実践編

レッスン6:職業差別

[まとめと補足]

 職業が世襲的身分と不可分一体であった前近代において職業差別は身分差別、ひいては階級差別と同義であった。しかし、産業社会における複雑な分業制の下、職業が理論上―あくまでも―“自由に”選択可能なものとなってくると、職業は個人の人格と結びつけられるようになる。
 ことに何ら職業を持たない「無職」の人間がそれだけで人間失格者のような差別的扱いを受けるのは、自給自足制が完全に崩れ、高度な分業制が確立された社会においては、「人間=職業人」という等式が支配的になるからである。
 このように、現代の職業差別はレッスン5で取り上げた犯罪者差別と同様に、人格価値の優劣に関わる差別であるため、外面的な視覚的表象とは無縁のようにも見えるが、決してそうではない。
 職業差別では被差別者との社会的接触を忌避する「不可蝕」の形態をとりやすいと指摘したが、この「不可蝕」とは被差別者を「汚らわしい人間」とみなす視線に由来している。なぜ特定の職業に就いている者を「汚らわしい」とみなすかと言えば、その職業はたいていゴミや汚物、血などを扱う「汚れ仕事」だからなのである。
 このことは、日本の前近代における職業=身分差別にあっても、そうした「汚れ仕事」を都市から委ねられていた最下層身分者をケガレとみなしていたことにすでに表われている。このケガレはまだ宗教的観念の域を出ていなかったが、これが近代的な衛生観念に置き換わるや、今度は「不衛生な職業」に就いている者への蔑視に変容したのである。
 もっとも、無職者に対する差別の場合にはそうした視覚的表象はあまり介在していないように見えるが、野宿生活者に対する差別となると、野宿生活者の「汚い」外見に対する嫌悪や憎悪すらも込められた視線に由来していることは明らかであろう。
 こうした職業差別事象の中でも、歴史的な沿革を持つカースト制や部落差別に関しては、まがりなりにも社会問題として自覚され、克服の取り組みも政策的なレベルでなされてきたところであるが、「3K」問題や野宿生活者問題などの現代的職業差別事象についてはいまだしであり、ともすれば「3K」仕事を外国人労働者に押し付けようとしたり、「浄化作戦」のように差別的な政策的対応がなされることもある。
 職業差別はそれを抱える各国の社会経済構造とも密接に関連するため、その根本的な克服は単なる〈反差別〉の視座を超えた問題であるが、さしあたっては、職業と人格とを直結させる思考法を改めることである。つまり、「汚れ仕事」に就いていようと、また職についていなかったり、野宿生活であったりしようと、人格的に尊敬に値する人は存在する(逆もまた真なり)。考えてみればごく当たり前のこの真実を再確認すればよいだけである。
 これは、外見の美/醜だけで人間の人格価値を見定めず、内面の美を重視するあの「内面性の美学」の活用場面の一つであることに気づかれるであろう。

2012年1月17日 (火)

世界歴史鳥瞰(連載第26回)

第4章 略

六 平安朝から武家支配へ

(1)平氏政権の成立
 朝鮮で武臣の台頭が起きていた頃、日本でも同様に、武士の台頭という現象が起きていた。これは特に11世紀末に始まる院政の中で強まったが、それ以前から清和源氏と桓武平氏というともに臣籍降下によって形成された皇族出自の二大武士団の台頭がすでに始まっていた。
 特に源氏は東北地方に半ば自立した豪族が起こした反乱ないし内紛を契機とする二つの大乱、すなわち前九年の役(1051‐62)、後三年の役(1083‐87)の鎮定で声望を高めていた。
 しかし、天皇と上皇の抗争に端を発した保元の乱(1156)を機に台頭した平氏が平治の乱(1159)で源氏を破って武家の頂点に立った。
 時の平氏棟梁・平清盛は1160年以降、当初は院政と協調し、後にはこれを抑えつつ、独裁政治を展開した。ただ、彼の政権は幕府のような軍政機構によらず、既存の天皇王朝の支配機構を利用する形式で運営されていたことや、自身大荘園領主でもあったことから、藤原摂関政治に近い性格が強かった。「奢れる平氏は久しからず」という箴言の「奢り」とは単に精神的な慢心にとどまらず、平氏の貴族化という実態を表現するものでもあったと言える。
 とはいえ、平氏政権は反対勢力に対しては武断政治的な衝動を隠さなかったし、地方武士らと封建的な主従関係を結ぶが、政策面でも、地頭の設置のように、後の源氏政権に承継される政策も始めていたことからして、これをもって武家政権の初例とみなすことは誤りではない。少なくとも、12世紀末以降に立ち現れた長い武家支配への橋渡しの役割を果たしたことは間違いない。
 しかし、まさに奢れる平氏は長続きせず、平氏政権は実質上清盛一代限りのものに終わった。ここでよく知られた源平合戦の物語を繰り返すまでもなく、平氏は反攻に出た源氏のために1185年、滅ばされた。

(2)幕府体制の確立と危機
 源氏棟梁・源頼朝は平氏を打倒するのに先立ち、1184年までに根拠地・鎌倉に独自の軍政機構を立ち上げていた。
 頼朝の功績は形式上征夷大将軍を頂点とし、後に幕府と呼ばれたこの新しい統治システムを創始したことにある。これは独自の天皇王朝とは別に武家固有の支配機構を初めて持ったという点で画期的であった。
 その結果、天皇王朝は一挙に形骸化を来たす恐れが出てきた。それだけに王朝側の巻き返しも熾烈を極め、最終的に鎌倉幕府が体制を固めるのは、源氏本家がわずか三代で断絶し、幕府の実権が平氏系を称する執権・北条氏に移った後の1221年、後鳥羽上皇が起こした承久の乱で幕府が王朝側に勝利してからである。
 北条氏体制は13世紀後半の二度にわたったモンゴルの侵攻(元寇)を乗り切ったが、この国難を利用して国防力強化を理由に全国の武士への統制を強めたため、有力御家人層の不満を高め、元寇後顕著になった御家人層の窮乏とあいまって幕府の命脈を縮める要因ともなった。
 14世紀に入り、王朝側に後醍醐天皇という個性が出現すると討幕機運は高まり、1333年、幕府は打倒された。
 こうして鎌倉幕府は140年ほどで終焉したが、この時代には御家人制を通じた日本型封建制の基礎が固まり、貴族的収奪の象徴であった荘園制から封建的な武家所領制への移行が進んでいく日本史上の一大転換の起点を成した。
 であればこそ、後醍醐天皇の君主専制的な反動政治(建武の中興)がたちまち行き詰まったのは必然であった。
 新たな武家支配の頂点に立ったのは、倒幕立役者の一人、源氏系足利であった。大覚寺統の後醍醐天皇を排除して新たに持明院統の光明天皇を立てて室町幕府を開いた足利尊氏の性急さは、以後90年近くに及んだ南北朝分裂の内乱を招いたが、14世紀末にようやく合一を果たし、安定を得た。政権は再び源氏一門の手に戻ったのであった。
 南北朝合一後の天皇王朝は形骸化の度を深める一方で、室町幕府の将軍職の世襲制が確立され、事実上幕府の王朝化が進んだ。このような軍閥政権の王朝化による実質的な二重王朝体制は、あたかもアッバース朝カリフからアミールやスルターンの称号を得て統治したイスラーム圏のブワイフ朝やセルジューク朝に擬すべきものがあった。
 こうした幕府の事実上の王朝化はしかし、足利将軍家の貴族趣向的な軟弱化を招いた。一方、鎌倉幕府体制下では主として御家人統制のため諸国に配置されていた守護が南北朝動乱期を通じて荘園制に寄生しながら封建領主に準じた守護大名として伸張し、こうした守護大名の連合体制の性格を強めた幕府の求心力は弱化した。
 その結果は、鎌倉幕府の執権に相当する管領や守護大名の増長と権力闘争の激化であり、その行き着く先が、幕府の相続問題とも絡み、10年以上も続いた内戦、すなわち応仁の乱(1467‐77)であった。
 京都を荒廃させたこの大乱によって幕府の威信は失墜し、以後16世紀後半にかけて各地で自立化した戦国大名らが覇を競う長い動乱の時代に突入する。それは同時に、12世紀末以来の幕府という統治システムの一大危機でもあった。(第4章了)

2012年1月11日 (水)

〈反差別〉練習帳(連載第33回)

実践編

レッスン6:職業差別(続き)

例題4:
あなたの家の近くに被差別地区Aがあるとする。あなたは自分の子をA地区の子と一緒に遊ばせるか。

(1)遊ばせる
(2)遊ばせない

 前近代にあっては、職業と世襲的身分との結びつきが強かったため、職業差別=身分差別であった。それが今日まで継承されているのがインドの「カースト制度」である。一方、もはや身分差別の実態を喪失しながら旧被差別身分者の子孫が集住しているとみなされる特定地区の住民が差別されるのが日本のいわゆる「部落差別」であり、本例題はこの問題に関わっている。
 こうした歴史的な身分差別に根源を持つ職業差別が例題1のような現代の「3K問題」とやや異なるのは、前者は本例題のように被差別者との社会的接触を忌避する「不可触」という形態を取りやすいことである。インドの最下層カーストに属する人々が「不可触民」と呼ばれたのはその典型である。
 中でも、子供同士の不可触は、大人同士の場合とは異なり、親の“教育的配慮”という大義名分をもって正当化される転嫁的差別の典型例となりやすい。例えば、自分の子をA地区の子と遊ばせないという場合、その理由として「A地区には不良グループが多いから」といったことが挙げられるかもしれない。「A地区に不良グループが多い」ということが中傷でなく真実だとすると、一理ありそうに見えるが、A地区の子どもたちのすべてが不良ではない以上、この理由づけは一部の事例を一般化して差別を正当化する転嫁的差別である。
 当然ながら他の地区と同様、A地区にも問題のない子どもたちが存在しており、あなたの子が遊びたがっているのは、そういう子かもしれない。我が子を不良集団と接触させたくないということであれば、それは何地区であろうと関係ないはずである。
 結局、どのように正当化しようとも、本例題で我が子をA地区の子とは一切遊ばせないということは、差別と言うほかないであろう。

例題5:
あなたが結婚を前提に交際中の相手から、ある日、被差別地区の出身であることを告白された。あなたはどうするか。

(1)別れる
(2)交際を続ける

 これまでのレッスンでもしばしば出てきた結婚をめぐる差別問題である。ただ、今までの例はいずれも相手の容姿や人種/民族、病気などの個人的属性が被差別理由とされる場合であったが、この例題では出身地区という地縁に関わる事柄が被差別理由とされる点でややこしいところがある。
 まず、あなたが相手の出身地区と全く無縁の土地の出身であれば(例えば、相手は関西出身であなたは北海道出身であるなど)、直ちに別れるというようなことはまずないだろう。
 しかし、あなたの出身地が相手の出身地区と地理的に近いというような場合は問題が生じる可能性もある。それでも、直ちに別れるという人は少ないかもしれないが、あなたに別れるつもりがなくても、親をはじめとする周囲の反対に遭うということがあり得るからである。
 相手の個人的属性が問題であるならば、自分の結婚意志を押し通すこともできようが、地縁が絡んでくるとそれが難しいことがあり得る。最終的に、周囲の圧力により別れざるを得ないこともあり得るだろうが、この絶縁はあなたの本意ではないから、差別に当たらない。この場合、差別したのはあなたに圧力をかけた周囲の人たちということになる。
 ただ、前にも触れたように、現行民法上、結婚は当事者の自由な意思によってのみ成立し、親の同意は必要ない。このことは憲法24条でも確認されている原則であるから、周囲の圧力にかかわりなく、自分の意志を貫くことはそれ自体、包容行為と言えるだろう。
 実は、戦後、憲法原則にまで高められた自由婚原則は、本例題に典型的に見られるような結婚をめぐる差別を解消することをも目指しているのだが、慣習上、結婚に親や親類が干渉することが今日でもまだかなり見られることから、結婚をめぐる様々な差別問題もなお残存しているわけである。

例題6:
[a] 被差別地区の生活環境改善や差別解消のために公費を投じて行われてきたいわゆる同和対策事業は税金の無駄使いだと思うか。

(1)思う
(2)思わない
(3)わからない

[b] いわゆる再開発によって、被差別地区そのものを解体するという政策は適切だと思うか。

(1)思う
(2)思わない

(3)わからない

 例題6も前回に引き続き、「部落差別」に関連するが、今度はより政治政策的な問題に関わってくる。となると、当然税金の話になろう。
 昨今、設問[a]のような「税金の無駄使い」排除が盛んである。それが真に税金の不当な浪費的支出を是正することを目指す議論と実践ならば、もちろん正当である。
 ただ、「税金の無駄使い」というフレーズが転嫁的差別の言説として用いられることもあり得る。特にそれが例題のような差別解消のための公的な施策に向けられているときには要注意である。
 “同和利権”といった言葉も、同和対策事業に関する否定的な文脈の中でしばしば聞かれることがある。たしかに、同和事業絡みの汚職事件もあるが、従来、日本社会の利権腐敗は広い範囲に及んでおり、同和関連だけではないにもかかわらず、ことさらに同和利権のみを問題視するのは、社会正義に仮託した転嫁的差別の疑いもある。
 とはいえ、実際、同和対策がそうした利権的問題を生じさせる背景には、同和対策事業の方法や内容をめぐる問題点も伏在しているように思われる。
 そもそもこの同和対策事業は根本的に部落差別そのものを克服することよりは、被差別地区に対する様々な利益供与を通じて、対象地区の生活環境の改善を図ることに力点があり、本質的に行政主導性の強い施策である(そのため、1980年代からは「地域改善対策」に名称変更された)。
 この点、近世の都市でも一定の汚れ仕事を委託していた最下層民の共同体に祝儀のような形で一種の生活援助を与えていたことが知られているが、同和対策という施策にはこのような前近代的施策の現代版としての側面も認められるのではないだろうか。なるほどそうした施策によって生活改善などの実際的効果は上がった面はあるにせよ、それはむしろ差別の構造を温存するものであり、根本的な差別の解消にはなお遠いのではないかと考えられるのである。
 あえて大胆に提起するなら、同和対策とは同情あるいは懐柔の意味すら帯びた一種の利益差別政策ではなかったか━。
 国レベルの同和対策事業は、2002年に終了した現在(自治体レベルのものは現在も継続中)、同和対策事業の功罪について現代史的な視点からの検証を行う必要があろう。
 このことは事業を「無駄」という視点から「仕分け」するのとは意味が違う。「無駄」という功利主義的な視点から「仕分け」(=選別)するというのは、対象が生身の人間であれば、生きるに「値する者」と「値しない者」(=無駄な人間!)の選別という発想ともだぶってきかねないところもある。そうした意味で「無駄排除」といったスローガンが不用意な形で普及することには懸念もある。
 一方、[b]の事例はもはや同和対策というレベルのものではなく、そもそも被差別地区そのものを再開発によって解体し、なくしてしまおうという策である。「被差別部落」なるものが残されているから差別が残存してしまう━。そういう発想に立って差別の根元を絶ってしまおうという趣旨である。
 この発想は、障碍者差別に関連してレッスン2で見た出生前診断と似たところがある。出生前診断を奨励する立場は、診断結果に基づいて障碍のある胎児を中絶すれば、そもそも胎児性障碍者がこの世に生まれないことになり、差別もなくなり、教育・福祉に公費を使う必要性もなくなるという発想によっている。それだけに、事実上先天性障碍者の存在価値を否定するに等しい差別思想ではないかという批判も強いのであった。
 被差別地区解体論も、同様にそもそも被差別地区が存在しなければ差別は消滅し、「対策」も必要なくなるという発想をとる点では出生前診断と似ているのだが、異なる点もある。
 障碍はそれを「個性」とみなす当事者がいるほど個人的なアイデンティティともなり得る属性であるのに対し、非差別的地区は前近代に最下層階級に落とされた人たちが生きていくために形成を余儀なくされた共同体を沿革とするものとされ、これを障碍のような個人的属性と同視することはできないであろう。
 元来、あるべきでなかった被差別階級のゲットーのような地区は存在しないほうがよいのではないか━。
 もちろん、被差別地区解体といっても、そこに代々住み続けてきた人たちを強制転居させるようなやり方ではなく、旧住民の継続的な居住権を保障しつつ、宅地開発によって新規住民も受け入れ、地名変更を伴う様々な街作りを推進するのである。
 そして、被差別地区出身の新しい世代の人たちが全国に散らばって、被差別身分に対応していた職業からも解放され、一般市民化されていけば、部落差別は歴史書の中にだけおさめられることになるであろう。
 以上、本例題は本連載の中でも政治性の強い難問で、当事者からの異論もあり得るところと思われるので、今後社会的な論議が必要であろう。

2012年1月10日 (火)

〈反差別〉練習帳(連載第32回)

実践編

レッスン6:職業差別

例題1:
[a] あなたはいわゆる「3K仕事」(きつい、汚い、危険な仕事)に就いてみたいと思うか(すでに就いている人は、続けたいと思うか)。

(1)思う
(2)思わない

[b] ([a]の設問で、「思わない」と答えた人への質問)その理由は何か(自由回答)。

 「3K仕事」に積極的に就いてみたい(続けたい)という人は多くないだろう。そのこと自体が差別に当たるわけではない。問題は、就きたくない(続けたくない)理由にある。
 この点、多くの人は「大変だから」とか、「自分には向いていないから」といった理由を挙げ、「「3K仕事」は卑しいから」という理由を露骨に持ち出す人は少ないかもしれない。それでも無意識のうちに特定の仕事を蔑視しているとすれば、それは無意識的ではあれ、転嫁的差別に当たる。
 一般的に、精神労働>肉体労働という職業的優劣観は社会的に根強く存在すると思われ、肉体労働の中でもとりわけ「3K仕事」は肉体労働を志向する人の間ですら忌避されがちな底辺労働を成している。
 もっとも、今日の日本の「3K仕事」は世襲される特定身分の人々に押し付けられているわけではないが、そうはいっても、忌避されやすい「3K仕事」を一部の人たち(たいていは低学歴者や外国人)にしわ寄せしている資本主義的経済構造は差別的と言わざるを得ないであろう。
 そこで、「3K仕事」には高賃金を保障することで、多くの人を呼び込もうという策もあり、現にそのような職も一部にあるようだ。これは高賃金を保障することで、「3K仕事」の社会的地位を高めることを目指す限りでは積極的差別是正策のようにも見えるが、“賤業”ゆえの人手不足を防ぐための術策という側面が目立ちすぎれば、かえって利益差別ということになりかねない。
 本来、「3K仕事」の中でも特に「危険」なものは専門資格化し、さほど危険ではないが「きつい」「汚い」ものは「仕事」でなく、全社会成員の「任務」とすることが望まれる。
 もっとも、これは資本主義的経済構造そのものにメスを入れることを意味するので、〈反差別〉を超えた課題性を有することではあろうが。

例題2:
「無職」という肩書きないし属性分類は差別的だと思うか。

(1)思う
(2)思わない

 例題1は特定の職業を持つことが差別の理由となる場合であったが、今度は何らの職業も持たないことが差別の理由となる場合である。
 日本社会では「無職」という語がまるでそれ自体一つの肩書きでもあるかのように用いられるため、この用語自体を差別的と思う感覚は希薄かもしれない。
 しかし、犯罪報道でよく見かける「住所不定・無職」という表現になるとどうだろうか。これはたいてい犯罪の被疑者・被告人の“肩書き”として付けられるもので、「無職」という語が犯罪と結びつけられることでいかにも反社会的な人物であるというイメージを高める働きをしているから、ここでの「無職」には、はっきりと差別的ニュアンスが込められていると言えるだろう。
 これに対して、失業者や定年退職した人を「無職」と呼ぶことには格別差別性はないように見えるが、それにしても職がないことをそこまで明示・強調しなければならないものだろうか。
 職を失った結果暫定的に無職となった人ならば「失業者」、退職して年金を主な収入源としている人ならば「年金生活者」と呼べば十分なはずであるし、それ以外の理由から現在無職である人については格別の肩書きは必要ないと思われる。
 ちなみに、「職」とは、資本主義社会においては、報酬(圧倒的に金銭)を得て反復・継続する仕事のことを意味するから、反復・継続していてもそれによって報酬を得ていない仕事は「職」とはみなされず、せいぜい“自称○○業”という「無職」に近いニュアンスを醸し出す肩書きをあてがわれてしまうだけである。
 結局のところ、「無職」という語はそれ自体として差別語であるとまで言えないとしても、職がないことをそれだけで社会的な欠格とみなす差別的ニュアンスが言外に込められた前差別語とみるべきものであろう。

例題3:
あなたの住む街に、野宿生活者の人たちが住み着いている一帯があるとする。地元自治体では住民からの苦情を受けて、この一帯から野宿生活者を追い出す「浄化作戦」を開始した。あなたはこの「作戦」を支持するか。

(1)支持する
(2)支持しない

 本例題は例題2で扱った「無職」問題の応用である。野宿生活者の中には、廃品回収などの仕事をしている人も多く、必ずしも野宿生活者=無職ではないが、野宿生活者は無職のイメージが強く、なおかつ住居を持たないことから「ホームレス」と呼ばれたりもする。
 しかし、この「ホームレス」という語も「住居」がないということをことさらに強調するもので、「無職」(=ジョブレス)と同様に前差別語とみるべきものであろう。「ホームレス」の人々は野外を事実上の生活の場としているからには、「野宿生活者」と呼べばよい。
 なお、しばしば「路上生活者」という言葉も使用されるが、野宿生活者のすべてが「路上」で生活しているわけではなく、公園とか河川敷に住み着いている人も少なくない。「路上」で生活している場合も、多くは地下道などの「路傍」に陣取ることが多いので、「路上生活者」という表現は、実態に合わないであろう。
 ただ、これが差別語とか前差別語かと言えば難しいが、「路上生活」という部分に、通行の障害物ないし景観の汚損物というイメージが込められているとすれば、少なくとも前差別語とみなせる余地はあろう。
 実際上、野宿生活者に対する蔑視には激しいものがあり、偏見を抱く人間(少年を含む)によって野宿生活者が襲撃・殺傷される事件もたびたび起きている。これは典型的な憎悪犯罪(ヘイト・クライム)である。
 例題のような当局による「浄化作戦」は、こうした野宿生活者への蔑視を助長する要因ともなる。「浄化」といっても、これは宗教的な観点からするケガレの除去を意味しているのでは全然なく、端的に野宿生活者を街のイメージを汚す存在として排斥の対象と見ているわけである。
 当局では、こうした施策を展開するに当たって、「保護」という名分を掲げ、実際、野宿者に対して宿泊所などへの入所や生活保護の申請を促すこともある。真に脱野宿化を促進する福祉的施策ならば、もちろん差別には当たらないわけだが、しばしば「浄化」と「保護」の区別はあいまいである。真に「保護」と言えるかどうかは、その施策の内容を立ち入って検証しなければ判定できないだろう。
 残念ながら、現状では、「浄化作戦」を支持する意見も少なくないと思われるが、それは野宿生活者=怠け者といった偏見が社会に定着しているせいでもあろう。
 しかし、職の喪失が住居の喪失につながりやすいことは容易に理解できることである。従って、住居を喪失するということは、怠け者ではない勤勉なあなたの身にも降りかかるかもしれない生活上のリスクなのである。
 そういう意味で、この問題では、我が身に引き寄せて考える「引き寄せの倫理」が有効と考えられる。

2012年1月 9日 (月)

世界歴史鳥瞰(連載第25回)

第4章 略

五 高麗王朝から朝鮮王朝へ

(1)武臣政権と元の支配
 前章でも述べたように、高麗全盛期には国際的商業活動が活発化し、臨津江岸にはムスリム商人も来航したとの記録がある。
 全盛期の高麗王朝は文臣(文官)優位の貴族政治を特徴としたが、11世紀頃より頻発した北方からの契丹族・女真族などの侵入への対処で功績のあった武臣(武官)の力が強まり、1170年、武臣・李高のクーデターを機に武臣が実権を握る武臣政権の時代が始まる。
 武臣らは当初権力闘争に明け暮れ、短命政権の交替が続くが、この頃には初期高麗王朝の基軸政策であった田柴科制の解体と荘園の拡大などに伴う社会矛盾から農民反乱が頻発する中、1196年に崔忠献が権力を握り、以後4代62年にわたり崔氏系武臣政権が続く。 崔氏体制は独自の王朝化はせず、既存の高麗王朝の枠内で私的な軍政機構を通じて専制支配した。この点では、同時期の日本に成立した鎌倉幕府体制と類似する性格も備えていた。
 崔氏体制が当面した最大の国難は1231年に始まるモンゴル勢力の侵攻であった。体制は国王を擁して江華島にこもって抗戦するが、1258年、新たなクーデターで崔氏体制が転覆されると、国王はモンゴル軍に降伏した。以後、高麗は100年以上もモンゴル(1271年以降は元)の間接統治下に置かれることになる。
 しかし、崔氏体制下で編成されていた三つの精鋭特殊部隊(三別抄)は王族を擁して珍島、次いで済州島を根拠に1273年まで抵抗を続けたのであった。その翌年に起こされた元による第1回日本遠征(文永の役)は三別抄の抵抗がなければもっと早まっていただろうと評されるゆえんである。

(2)朝鮮王朝の成立と発展
 14世紀半ばになると、三でも見たように元朝の支配が揺らぎ始める。それに伴い、元の間接統治下にあった高麗内部でも自立へ向けた動きが芽生える。その中心を担ったのは、新興の中小地主層に出自を持つ官僚たちであった。
 高麗の官僚は科挙を通じた文班(文臣)と世襲ないし選抜による武班(武臣)とに分かれ、両者を「両班[ヤンバン]」と総称したが、新たに両班官僚として台頭した新興地主層こそ新時代の担い手たるべき層であった。彼らはまた旧来の大土地所有者たる門閥貴族層の特権にも挑戦した。
 こうした新興エリート層の支持を背景に頭角を現したのが李成桂であった。彼自身は両班官僚ではなく、北部の土豪出身の武将にすぎなかったが、北辺での元への抵抗運動や倭寇撃退で名を上げ、注目されていた。
 彼はモンゴル高原へ敗走した元(北元)が明への反攻を図り、高麗にも援軍を要求してきた時、司令官として派遣されたが、途中で回軍して首都開城に入城し、これを制圧、政権を奪取した(1388)。しかし、彼はいきなり王朝を開かず、かつての武臣政権と同様に高麗王朝の枠組みの下で実権を掌握する体制を採った。
 この時期に断行された重要な経済改革は科田制の導入である(1391)。科田制とは高麗末期に広がっていた荘園的大土地所有を否定し、土地を国有化したうえ、官等に応じて官僚らに田地(科田)を支給し、一律に十分の一の田税の収奪を認めるもので、それは旧田柴科制への回帰にほかならなかった。
 これは明らかに先の新興両班エリート層の利益に適う保守的改革であり、彼らの階級的勝利を意味していた。
 李成桂はこうした改革を指導したうえで、1392年、高麗王朝から禅譲を受ける形で自ら王朝を開いた。これが以後20世紀初頭のいわゆる日韓併合まで約500年間持続し、かつ朝鮮史上最後の王朝ともなる朝鮮王朝である。王都は漢城(ソウル)に遷された。
 朝鮮王朝ではその成立に尽力した両班官僚が当然にも権勢を持ち、彼らが地方長官として任期付きで中央から任命・派遣される中央集権制が確立された。この意味では、封建的な性格を残した中央集権制という点で近代への過渡的体制とも言える。ただ、科田は世襲が認められ、当初は首都近辺の京畿道に限定されていたものが全国に拡大していき、次第に地主的所有制に近いものに変質していった。
 体制イデオロギーの面でも、高麗王朝で支配的であった仏教から儒教(朱子学派)に転向したことも含め、朝鮮史上の一大転換点を成したのが、朝鮮王朝の成立であった。
 この王朝の全盛期はハングルの創案を指導した第4代世宗に始まる15世紀初頭から末期にかけての時期であった。しかし、1494年に燕山君が即位して暴政を行うと、儒教のイデオロギー対立を絡めた党争が激化し、16世紀には王朝に衰退の影が忍び寄る。

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31