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2011年12月 8日 (木)

〈反差別〉練習帳(連載第27回)

実践編

レッスン4:外国人差別(続き)

例題3:
テレビのコメンテーターが、番組の中で「近年、外国人犯罪が急増している」と発言した。あなたはこの発言を無条件に信じるか。

(1)信じる
(2)信じない

 外国人と聞いたときに、日本人がすぐに思い浮かべがちなのは、「外国人犯罪」である。とりわけ、「アジア系外国人」というと、ほとんどイコール犯罪者・犯罪者予備軍というようなイメージにとらわれている人も少なくないかもしれない。
 次のレッスン5で取り上げるように、犯罪者は差別=劣等視される代表的なカテゴリーであるため、外国人の中でも特に「アジア系」(近年では「アフリカ系」「中南米系」も)を取り出して、これを事実上犯罪者と同視するのは、外国人差別の形式をまとった民族差別の一例とも言える。
 では、一般の人がどこでこうした差別的な観念を植え付けられるかと言えば、学校教育ではなく、マス・メディアの報道を通じてであると考えられる。
 ちなみに、2000年4月、作家としても有名な石原慎太郎東京都知事が自衛隊の記念式典で、「今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」云々と演説した(下線筆者)。
 このような発話は厳しい批判を浴びると同時にまた、多くの都民から賛同も寄せられたとのことで、一般大衆の間にある外国人差別意識の根強さを示す事例でもあったのである。
 この発話自体は一人の政治家の演説の中でなされたものであるが、それがメディアを通じて報道されることで流布されていく。流布されることで批判も受けるが、同時に賛同の輪も広がってしまうのだ。
 ところで、石原発話中、「三国人」とは終戦直後、日本から解放され独立した朝鮮や台湾の出身で、植民地解放に伴い、日本国籍を喪失したまま日本本土に残留していた人たちを疎外的に呼んだ差別語であるが、今日ではほぼ死語と化している。
 石原知事がそのような古めかしい言葉を20世紀最後の西暦2000年という節目の年にわざわざ復活させたうえ、「凶悪犯罪」と結びつけてみせたのは、日本の首都のトップによる朝鮮人や台湾人等への民族差別宣言と受け取られてもやむを得ないものであり、この点が特に強い批判の対象とされたのは当然と言うべきであった。
 しかし、よく考えてみると、石原発話の本旨は「三国人」と並べて言われた「外国人」全般が「凶悪犯罪を繰り返している」として“常習凶悪犯罪者”(?)に仕立ててしまった点にあると思われる。
 これならば、例題のコメンテーター氏のコメント「近年、外国人犯罪が急増」と同型の、私どもがよく耳にする言説の一種である。そして、石原発話に対する都民の賛同も、「三国人」の部分よりは、この耳慣れた言説へこそ向けられていたのではないだろうか。
 なぜ大衆が耳慣れているかと言えば、マス・メディア上で例題のようなコメントが事あるごとになされるためばかりでなく、メディアが外国人犯罪を好んで取り上げること自体も大いに影響しているだろう。
 こうした言説の特徴は「近年」とか「急増」といった言葉で、緊迫感を掻き立てるところにある。しかも、データをほとんど示さない。そのため、かえって評論家や弁護士、ジャーナリストといったコメンテーターの肩書きの権威と相まって、ご託宣的なある種の説得力を持ってしまうのである。
 私どもがこうした言説の「神秘化」に乗せられないようにするには、データを示さない専門家の断定的コメントを無条件には信じないこと、そして自ら関係資料に当たってチェックする癖をつけることが最低限の注意則となる。そのうえに、データが示されていても、その出典データや出典そのものの信頼性や正確性、さらにコメンテーターのデータの読み方に誤りや歪みがないかどうかといった点までチェックできればなおよいだろう。
 それでは、例題のコメント「近年、外国人犯罪が急増している」は果たして正しいのだろうか。本連載は犯罪情勢を主題とするものではないので、検証は保留とする。ぜひ各自でお調べをいただければと思う。

例題4:
[a] 「不法入国者でも一定期間国内で平穏に暮らしてきた者には合法的な滞在権を保障する」という主旨の法案が提出されたとして、あなたはこの法案を支持するか。

(1)支持する
(2)支持しない

[b] 「永住権を持つ外国人には国政選挙における選挙権(投票権)を保障する」という主旨の法案についてはどうか。

(1)支持する
(2)支持しない

 [a]は不法入国者に対する免責制度、[b]は外国人の参政権に関わる例題である。いずれも外国人を社会へ迎え入れる包容政策の代表的なものと言える。
 難しいのは、こうした制度が欠如しているからといって、直ちに外国人差別だとは断じられないということである。元来、日本もその一つである国民国家とは、国民と外国人とを峻別し、基本的な権利に関して国民を外国人よりも優遇する本質を持っている。従って、国民が自国に滞在できることは自明の権利であるが、外国人が滞在できるのはあくまでも国の許可に基づくにすぎず、不法入国者には本来、滞在権が存在しない。また、国民が国政選挙の選挙権を有することは民主国家の基本とされながら、外国人が選挙権を持たないことは自明とされてきたのである。
 従って、[a]の不法入国者免責制度も、[b]の外国人参政権も、如上のような伝統的な考え方の大転換という意味を持っているため、いずれも支持しないとする回答が圧倒的多数を占めてもおかしくはない。
 しかし、21世紀の最初の10年が過ぎた現在、そろそろ日本社会も伝統的な外国人政策を転換して新たな方向へ一歩を踏み出してよい時ではないだろうか。
 この点、[a]の不法入国者免責制度は入国時に密航などの違法行為があっても、その後の行状を考慮して問題なければ合法的に滞在させようというものである。
 実際、不法入国者したフィリピン人夫妻が摘発され、日本で生まれ育った子だけを残して本国へ強制送還されるという実例があったが、この夫妻は不法入国後は犯罪歴もなく日本社会に事実上定着していたとされるだけに、免責制度があれば―制度がなくとも、法務大臣の退去命令の権限は裁量性が強いので、事実上免責することもできた―家族を引き裂くことなく、救済できたケースである(ただし、免責が認められる法的条件を厳しく設定するなら救済できない場合もある)。
 免責制度を支持しない人は、不法入国という犯罪をことさらに重く見るのであろうが、適法に入国しておいて重大犯罪を犯す外国人と、不法に入国した後は平穏に暮らしてきた外国人とどちらが社会にとって脅威であるかを実質的に考量してみたい。このような冷静な考量は排外主義的な衝動を抑制するうえでも有効であろう。
 一方、[b]の外国人参政権は理論的に困難な点が多い。主権は国民にあるという国民主権の公理からすれば、国政レベルの参政権については国籍保持者に限定されることは自明とする考えがなお世界的にも根強いからである。これに対して、例題とは異なり、地方参政権については外国人にも保障する国が増えている。 
 国も自治体も税金に関しては国民と外国人を区別せずに徴収しているわけで、「取るものは取るが、与えるものは与えない」というのは虫が良すぎないだろうか。税金は“平等に”徴収するというならば、税金の使い道を正すための選挙権(投票権)についても外国人に平等に保障するのが本筋である。代表なくして課税なし。これは議会制度の歴史的な原点でもあったはずだ。
 とはいえ、国政レベルでは外交・安全保障も一応選挙の争点となり得る―実際上はほとんどならないが―ことからすると、国政レベルの選挙権を外国人に保障することには慎重な国がなお圧倒的である(例外として、ニュージーランドなど)。これは国民国家体制の超え難い限界と言えよう。
 これに対して、外交・安全保障が争点とならない地方レベルについては、被選挙権(首長については別途考慮の余地あり)まで含めて外国人に参政権を保障することに決定的な障害は認め難い。
 なお、日本でも外国人への地方参政権保障は民主党を中心として提起されているが、その中で、日本と国交のない国の国籍を持つ者を除くとされているのは、問題である。
 このように国籍の違いで参政権の有無を分けると、外国人参政権の内部に国籍による差別が持ち込まれる。それでは包容政策のはずの外国人参政権がかえって特定の外国人に対する排斥を助長する逆効果を持つことになり、真の包容政策とは言えない。 

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