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2011年8月20日 (土)

〈反差別〉練習帳(連載第2回)

理論編

一 差別とは何か

 差別という語は日常になじんでいると思われるが、差別とは何かということについて突き詰めて考えられることは多くない。
 例えば、「太った人には選挙権を与えない」というような政策が提起されれば、ほとんどの人は太っている人に対する「差別」だと感じるだろうが、「所得の高い人には重税を課す」という政策を高所得者への差別だとは言わない。前の例は「差別」だが、後の例は「差別」ではないとする理由は何なのだろうか。
 この点、差別とは何かを考える前に、差別とは何でないかを考えてみるほうが有益である。

命題1:
差別とは、単に差を分けること(差異化)ではない。

 差別という言葉を文字どおりにとると、「差を分けること(差異化)」と解釈できるが、このような単なる差異化はいわゆる「差別」とは違う。単なる差異化とは、ただ種類を分けるというだけのことである。一番わかりやすいのは、色鉛筆とか絵の具である。色鉛筆や絵の具は何十種類にも差異化されているけれども、これを「差別」とは呼ばない。
 また、企業の経営戦略としてよく使われる「差別化」も、ここで言う「差別」とは専ら同業他社の製品・サービスにない特色を持たせて売り上げを伸ばすということで、やはり単なる差異化の意味である。
 こうした差異化にあっては、差異をつけられた個々の対象に優劣をつけず、本質的に同等のものとみなすのである。例えば、絵の具の赤色と青色ないし黄色の間に優劣関係はない。
 これに対して、後に挙げた企業の「差別化」になるとやや微妙で、同業他社にない特色を持つ自社製品・サービスの優秀性を誇るという形で、差異をつけた対象に対する優劣評価が混じっているかもしれない。その意味で、これを「差別化」と呼ぶことには一定の意義があるとも言える。
 では、実際のところ、「差別」とはいったいどういうことなのであろうか。

命題2:
差別とは、優等的な人間に対して、劣等的な人間を蔑視すること(劣等視)である。

 本連載で取り上げる「差別」を簡単に定義するとすれば、上のようにまとめることができる。
 少し詳しく立ち入って分析してみると、差別とは第一に、差異化した対象に優劣の評価をすることである。
 この場合の優劣評価とは相対評価であるから、標準的なものと比べての劣等評価も含まれる。いずれにせよ、先に述べたように、優劣評価に関わらない単なる差異化は「差別」に当たらないのである。
 第二に、差別は人間を対象とする優劣評価である。
 ここで人間とは、ある特徴を持った一人の個人(例えば、あなたや私)の場合もあれば、一定の特徴を共有する人の集団(例えば、黒人とか日本人等々)である場合もある。
 いずれにせよ、先に挙げた企業の「差別化」戦略のように、そこに一定の優劣評価が含まれていても、対象が人間でなくモノである場合にはやはり「差別」に当たらない。
 第三に、差別とは劣等的な人間を蔑視することである。
 このように、劣等評価された人間を蔑視するということが、差別の中核要素となる。このことをひとことで言い表す最適な単語はなかなか見当たらないのであるが、本連載ではこれを「劣等視」と呼ぶことにする。
 そうすると、冒頭で挙げた例のうち、「所得の高い人には重税を課す」という政策は、高所得者に重税の負担を課して低所得者よりも劣位に扱う施策ではありながらも、高所得者を「劣等視」するものでないことは明らかなので、「差別」に当たらないことになる。
 それに対して、「太った人には選挙権を与えない」という政策は、太っている人を劣等視して公民権を保障しないという重大な不利益を課す明白な「差別」である。
 ちなみに、日本国憲法14条1項には次のように定められている。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 この規定は、一般に「平等原則」と呼ばれているように、ここで言う「差別」とは広く不平等な取扱い全般を包括している。従って、劣等視に限らず、先の高所得者に対する累進課税のようなものも、憲法14条1項の「差別」に該当し得る。ただ、実際に憲法に違反するかどうかは、その不平等な取扱いに合理的な理由があるか否かにかかる。
 このように憲法上の「差別」の法的定義が広いのは、平等原則という一般的な視座から差別の法的救済を図ろうとする目的があるためである。
 従ってまた、憲法14条1項では「信条」による差別も救済対象となるが、本連載ではこのような信条差別は考察対象から除外する。なぜなら、例えば「共産主義者は公務員に採用しない」といった施策は、たしかに共産主義者に対する不平等な取扱いにほかならないが、共産主義者を劣等視しているのではなく、共産主義という思想を抑圧する政策の一環にすぎないから、本連載で言う「差別」には該当しないのである。
 また、憲法14条ではあいまいにされている「階級差別」も本連載の考察から除外する。「階級差別」は低い階級の者を高い階級の者に対して劣等視するという要素を含んでいるのはたしかであるが、それは経済社会構造そのものに関わる問題として、差別問題一般とは別途固有の考察を要するからである。
 (ただし、今日の階級社会は「身分」よりも「能力」を指標とする「能力主義」の衣をかぶることがますます多くなっているから、現代の階級差別は能力による差別という形態をとる傾向が強い。その限りにおいて、実践編で取り上げる「能力差別」の問題を通じて階級差別にも考察が及ぶことになろう。)
 さて、このように差別=劣等視という命題から、第四に、差別とは「視線」に関わるということが導き出せる。
 差別とはまず、対象たる人間を「見る」こと、そのうえでその「見た目」から優劣評価をし、劣等者に軽蔑の視線を送ることなのである。従って、差別とは人間関係上のトラブルから生じた単なる仲間外れとも違うし、共同体的な制裁としての村八分のようなものとも異なる。

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