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2011年8月

2011年8月29日 (月)

〈反差別〉練習帳(連載第3回)

理論編

一 差別とは何か(続き)

命題3:
差別は、劣等者の視覚的表象(イメージ)を言葉で表現したものである。

 差別とは視線に関わるということをもう少し突き詰めていくと、差別は言葉と密接不可分であることがわかる。いわゆる「差別語」と呼ばれる単語のリストが世界中の言語に存在していることがその何よりの証拠である。
 そして、その差別語の多くは劣等者の「見た目」に対する否定的評価を言葉で表現したものである。例えば、太った人に対する「デブ」とか「ブタ」といった表現や、肌の色の黒い人種に対する「黒ん坊」といった表現はその典型である。
 ただ、差別はこうした侮蔑的な形容表現だけで語られるものではなく、もっと言説的に練り上げられて、一つの思想にまで昇華されていくことも少なくない。その場合には、劣等者に対置されるべき者の優等性をことさらに強調する優越主義的な言説形態を取るのが一般である。
 その代表例が白人優越主義思想である。これはコーカソイドまたはユーロポイド(白人種)がニグロイド(黒人種)やモンゴロイド(黄色人種)よりも優等的な人種であるとみなす典型的な人種差別思想である。
 このように思想にまで昇華された差別言説にあっても、それは決して単純な抽象的観念論ではなく、やはり「視線」から出発している。例えば、白人優越主義思想において、黒人は肌の色の黒さばかりでなく、分厚い唇、扁平な鼻、縮れ毛といった典型的な黒人の身体的特徴が劣等視され、奴隷貿易時代には黒人は“動物”としての扱いを受けたのであった。
 また同様に、黄色人種に対しては出っ歯とか短足といった身体的特徴をとらえて、中国人や日本人がサルとして表象されることが少なくない。
 一見してもっともらしく聞こえる思想化された差別言説も、その正体は「デブ」とか「ブタ」とかいった類の稚拙な差別語と本質上大差ないものなのである。

命題4:
差別と酷似するが区別されるべきものに、不浄視、危険視、異常視の三つがある。

 ここで、特定の個人または集団を遠ざけることになるため、差別と酷似し、よく混同されやすいものを三つ取り上げてみよう。
 一つは、特定の個人または集団を不浄とみなして遠ざける不浄視である。日本社会で古来、民間信仰の中によく見られたケガレはその例である。
 この不浄視にあっては通常、対象を穢れているとみなして遠ざけることから、差別と極めてよく似ている。実際、不浄視は差別と同視されることも多い。
 しかし、不浄視とはあくまでも宗教的な観点からする忌避であって、劣等視とはなお異なる。従って、時間の経過や何らかの儀礼(例えば祓い)によって浄化が認められ、忌避が解除されることも多いのである。
 ところが、場合によっては、職業の内容などから、不浄性が特定人間集団に永久的に付着しているものと認識されるために、その集団が不浄視を超えて劣等視されるに至ることがある。日本のいわゆる部落差別の歴史的な根元であるえた(穢多)・非人に対する差別などはその一例である。
 このように、不浄視はそれ自体として差別なのではなく、それが劣等視に転化していったときにはじめて「差別」となるのである。
 二つ目は、危険視である。例えば、欧米や日本などでイスラーム教徒をテロと結びつけて危険視するということがあり得る。これも一見して差別と似ているが、この場合もイスラーム教徒を必ずしも劣等視しているわけではなく、テロリスト予備軍ないしテロリストそのものと決めつけているのである。
 ただ、このような決めつけは一つの偏見と言うべきもので、イスラーム教徒一般を犯罪者扱いにして劣等視することと紙一重ではあり、実際の事例では差別とみなして差し支えない場合も多いであろう。
 三つ目は、異常視である。例えば、同性愛者を変態性欲の持ち主として異常視するような場合がこれである。
 異常なものは通常遠ざけられるから、これも差別と区別しにくいが、異常なものが劣等視されるとは限らない。異常なものはかえって遠ざけられつつも好奇心の対象とされたり、場合によってはある種フェティッシュな崇拝の対象とされることすらある。
 ただ、同性愛者の場合、「ホモ」とか「オカマ」などの蔑称によって異性愛者よりも劣等的な者とみなされることも少なくなく、そうなると、これは差別と言わざるを得なくなってくる。
 以上の三つのものを差別と区別するのは、誰かを排斥するようなことを何もかも“差別”として言い立てると、差別のインフレ状態が生じ、本当の差別を見逃しかねない恐れがあるからである。

2011年8月23日 (火)

世界歴史鳥瞰(連載第3回)

第1章 東から発祥した文明

〈序説〉
 文明は東から発祥した━。これまでの考古学的知見による限り、このように総括することが可能である。つまり、文明の名に値する実質を伴った古代の文化現象はすべて「東」―いわゆる「オリエント」に限らない広い意味での―で見出されるのである。言い換えれば、ヨーロッパ中央部やアフリカ内陸部のような「西」における文明の成立は「東」よりも時間的に後発であった。
 このことは、近世以降の歴史の展開の中では「西」、わけても西ヨーロッパが圧倒的な文明的優位を誇るようになったことを考えると信じ難いようにも思えるが、事実として直視しなければならない。
 もっとも、考古学は日進月歩であるから、将来、ヨーロッパ大陸のど真ん中でいわゆる「古代四大文明」に匹敵する大文明の痕跡が発見されてヨーロッパ人を喜ばせる可能性がないと断言することはできない。しかし、その可能性が高いとも言えないことには物理的な理由がありそうである。

一 文明の発祥

(1)文明の履歴としての歴史
 歴史とは何か━。この問いに答えるだけで分厚い本ができてしまう百家争鳴の大問題であるが、ここでは文明という人類的現象の来歴、約言すれば「文明の履歴」ととらえてみたい。従って、文明の発祥が先史時代と歴史時代とを分ける分水嶺となる。
 このような文明を歴史と直結する場合に注意すべきは、例えば「アマゾンのジャングルで文明との接触を絶って伝統的な暮らしを固守している裸族は文明を持たないがゆえに歴史も持たない」というような見方が出てくることである。
 しかし、本連載ではこうした見方をとらない。「歴史」という概念を個別的ではなく、類的にとらえるからである。
 すなわち、序論で掲げた鳥瞰史観による限り、歴史とは「人類の」歴史であって、個々の民族とか国家の歴史ではないのである。従って、人類にとっての歴史時代はいつから始まるかということが問題であって、アマゾンの裸族にそもそも歴史はあるのかとか、日本人ないし日本の歴史はいつから始まるかといった問いも、ここでは埒外にある。
 もっと具体的に言えば、仮に最初の文明が通説どおり前4000年ないし3000年頃にメソポタミアのシュメール人やナイル河流域のエジプト人によって担われたのだとすれば、それを単にシュメール人なりエジプト人なりの歴史とか、オリエントの歴史というように個別的にとらえるのでなく、「人類の歴史は前4000年ないし3000年頃に始まった」と理解するのである。

(2)文字の発明
 では、文明とは何か。これまた論者の数だけ定義のある難問であるが、これを漢字から読み解くと、「文」が「明らか」になるという含意である。ここで「文」とは広く精神的所産のことを指すが、精神的所産が「明らか」になるには文字というツールが不可欠である。従って、文字の発明は文明の成立要件となる。
 文字の発明の要因・背景事情は文字システムを生み出した各文明によって異なるようであり、例えばメソポタミアの楔形文字は圧倒的に経済的・行政的文書で用いられているが、中国の甲骨文字になると、それは卜占用の文字として出発した。
 とはいえ、文字システムの発達・普及を促進したのは、ほぼ共通して交易の発展であったと考えられる。交易の日常化・大量化に伴い、契約内容の履行確保や物品の出入管理のためには人間の記憶に頼るだけでは足りず、記録の必要性を発生させたからである。物質文明の下では、文字のような精神的所産も物質的なものと不可分に結びついているのである。
 やがて交易の専業化、すなわち商業の創始に伴い、より高度な文書の必要性が生ずるとともに、次項で見る都市の成立による政治行政の発達は行政文書や成文法、さらには歴史叙述といったもっと高度な文字文化をも(当初は粘土板文書や碑文の形で)生み出すこととなったのだ。

(3)都市の成立
 文明の横文字の定義として代表的なものに、文明=シヴィリゼーション(civilisation)というものがある。このようにとらえたときには、文明はシヴィック(civic)な文化、すなわち都市文明と同義となる。言い換えれば、都市の成立が文明の要件である。実際、この都市の成立ということが一つの歴史的なプロセスであり、文字の発明もその過程で生じた一つの事象であった。
 都市の成立要因もまた各地域によって異なるとはいえ、共通項として言えることは、都市の成立は商業の誕生とへその緒でつながっているということである。すなわち、都市とは商業センターなのだ。このことは定住生活をしない遊牧民の都市に最も典型的に示されている。遊牧民がオアシス都市のようなものを建設する場合、それは政治行政よりも専ら商業の拠点とされていたのである。
 こうした商業の前身は原始共同体間での交易にあるが、交易の起源は農耕よりも古く、すでに旧石器時代にその痕跡が見られる。「交換価値はノアの洪水以前からある」(マルクス)と言われるゆえんである。
 ただ、原始交易はまだ専業的な商人によって担われたものではなく、専ら交換に供するための物品=商品の生産も成立していなかった。そのような交易の「産業化」としての商業の誕生は農耕の開始よりも遅れたのではあるが、商品生産は農耕という人類最初の生産経済の開始に引き続く第二の生産経済革命と呼んでもよい事象であった。
 こうして商業の誕生と発達は共同体内外の人流を活発化し、社会の高度な組織化を促進するとともに、富の偏在化とそれに伴う社会の階層化を結果し、ここに都市と呼ぶに値する発達した共同体が成立したと考えられる。従って、都市とは本質上階層社会である。そして、そのような都市の成立が序論でも指摘した人類社会前半史を特徴づける所有の歴史の出発点となったことはまことに自然なことであったのだ。

2011年8月20日 (土)

〈反差別〉練習帳(連載第2回)

理論編

一 差別とは何か

 差別という語は日常になじんでいると思われるが、差別とは何かということについて突き詰めて考えられることは多くない。
 例えば、「太った人には選挙権を与えない」というような政策が提起されれば、ほとんどの人は太っている人に対する「差別」だと感じるだろうが、「所得の高い人には重税を課す」という政策を高所得者への差別だとは言わない。前の例は「差別」だが、後の例は「差別」ではないとする理由は何なのだろうか。
 この点、差別とは何かを考える前に、差別とは何でないかを考えてみるほうが有益である。

命題1:
差別とは、単に差を分けること(差異化)ではない。

 差別という言葉を文字どおりにとると、「差を分けること(差異化)」と解釈できるが、このような単なる差異化はいわゆる「差別」とは違う。単なる差異化とは、ただ種類を分けるというだけのことである。一番わかりやすいのは、色鉛筆とか絵の具である。色鉛筆や絵の具は何十種類にも差異化されているけれども、これを「差別」とは呼ばない。
 また、企業の経営戦略としてよく使われる「差別化」も、ここで言う「差別」とは専ら同業他社の製品・サービスにない特色を持たせて売り上げを伸ばすということで、やはり単なる差異化の意味である。
 こうした差異化にあっては、差異をつけられた個々の対象に優劣をつけず、本質的に同等のものとみなすのである。例えば、絵の具の赤色と青色ないし黄色の間に優劣関係はない。
 これに対して、後に挙げた企業の「差別化」になるとやや微妙で、同業他社にない特色を持つ自社製品・サービスの優秀性を誇るという形で、差異をつけた対象に対する優劣評価が混じっているかもしれない。その意味で、これを「差別化」と呼ぶことには一定の意義があるとも言える。
 では、実際のところ、「差別」とはいったいどういうことなのであろうか。

命題2:
差別とは、優等的な人間に対して、劣等的な人間を蔑視すること(劣等視)である。

 本連載で取り上げる「差別」を簡単に定義するとすれば、上のようにまとめることができる。
 少し詳しく立ち入って分析してみると、差別とは第一に、差異化した対象に優劣の評価をすることである。
 この場合の優劣評価とは相対評価であるから、標準的なものと比べての劣等評価も含まれる。いずれにせよ、先に述べたように、優劣評価に関わらない単なる差異化は「差別」に当たらないのである。
 第二に、差別は人間を対象とする優劣評価である。
 ここで人間とは、ある特徴を持った一人の個人(例えば、あなたや私)の場合もあれば、一定の特徴を共有する人の集団(例えば、黒人とか日本人等々)である場合もある。
 いずれにせよ、先に挙げた企業の「差別化」戦略のように、そこに一定の優劣評価が含まれていても、対象が人間でなくモノである場合にはやはり「差別」に当たらない。
 第三に、差別とは劣等的な人間を蔑視することである。
 このように、劣等評価された人間を蔑視するということが、差別の中核要素となる。このことをひとことで言い表す最適な単語はなかなか見当たらないのであるが、本連載ではこれを「劣等視」と呼ぶことにする。
 そうすると、冒頭で挙げた例のうち、「所得の高い人には重税を課す」という政策は、高所得者に重税の負担を課して低所得者よりも劣位に扱う施策ではありながらも、高所得者を「劣等視」するものでないことは明らかなので、「差別」に当たらないことになる。
 それに対して、「太った人には選挙権を与えない」という政策は、太っている人を劣等視して公民権を保障しないという重大な不利益を課す明白な「差別」である。
 ちなみに、日本国憲法14条1項には次のように定められている。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 この規定は、一般に「平等原則」と呼ばれているように、ここで言う「差別」とは広く不平等な取扱い全般を包括している。従って、劣等視に限らず、先の高所得者に対する累進課税のようなものも、憲法14条1項の「差別」に該当し得る。ただ、実際に憲法に違反するかどうかは、その不平等な取扱いに合理的な理由があるか否かにかかる。
 このように憲法上の「差別」の法的定義が広いのは、平等原則という一般的な視座から差別の法的救済を図ろうとする目的があるためである。
 従ってまた、憲法14条1項では「信条」による差別も救済対象となるが、本連載ではこのような信条差別は考察対象から除外する。なぜなら、例えば「共産主義者は公務員に採用しない」といった施策は、たしかに共産主義者に対する不平等な取扱いにほかならないが、共産主義者を劣等視しているのではなく、共産主義という思想を抑圧する政策の一環にすぎないから、本連載で言う「差別」には該当しないのである。
 また、憲法14条ではあいまいにされている「階級差別」も本連載の考察から除外する。「階級差別」は低い階級の者を高い階級の者に対して劣等視するという要素を含んでいるのはたしかであるが、それは経済社会構造そのものに関わる問題として、差別問題一般とは別途固有の考察を要するからである。
 (ただし、今日の階級社会は「身分」よりも「能力」を指標とする「能力主義」の衣をかぶることがますます多くなっているから、現代の階級差別は能力による差別という形態をとる傾向が強い。その限りにおいて、実践編で取り上げる「能力差別」の問題を通じて階級差別にも考察が及ぶことになろう。)
 さて、このように差別=劣等視という命題から、第四に、差別とは「視線」に関わるということが導き出せる。
 差別とはまず、対象たる人間を「見る」こと、そのうえでその「見た目」から優劣評価をし、劣等者に軽蔑の視線を送ることなのである。従って、差別とは人間関係上のトラブルから生じた単なる仲間外れとも違うし、共同体的な制裁としての村八分のようなものとも異なる。

2011年8月15日 (月)

〈反差別〉練習帳(連載第1回)

まえがき

 本連載は「差別」という難問に、私たちが日常の具体的な場面でどのように直面し、どのようにしてそれを克服していけるか、という観点に立って、「練習」をしてみようという新しい企画である。

 従来、差別を扱う企画というと、告発・糾弾調のものか、差別を学問的に分析するものか、そのいずれかが多数を占めてきた。
 前者は専ら差別を受ける側(差別被害者)に立って、差別を加える側(差別加害者)を非難する視点を前面に出すものであるが、その非難の調子があまりに強すぎれば私たちは共感する前に閉口してしまいがちである。
 一方、差別という現象を学問的に分析することは意義あることであるが、それだけでは私たちが日常の場面でどのように差別に直面し、どのようにして克服していけるかの道筋は見えてこない。
 そこで、本連載のような「練習帳」という形式の出番となるのであるが、その際、「私たちは全員が、差別する側にも、差別される側にも回り得る」という考えに立って構成していく。
 著者自身を含めて、私たちは差別の加害者にも被害者にもなる可能性がある。言い換えれば、差別する者が差別される、また差別される者が差別する。そういう連鎖・連環関係が成り立ってしまうのが、差別という問題の難しさであり、恐ろしさである。
 もう一つ、日本社会には差別をそもそも「問題」とするうえで特有の難しさがある。それは、個別の差別問題の中でもエース級と言える人種差別が日本社会では重大な社会問題として前面には出てこないため、差別を「問題」として意識することが難しいことによる。
 日本社会で人種差別が表面化しにくいのは、日本社会は民族構成上、日本人のほか朝鮮人、中国人、フィリピン人、アイヌ、沖縄人、日系ブラジル人その他多様でありながら、それらはいずれも人種的にはいわゆる「モンゴロイド」に分類される諸民族であり、非モンゴロイド系住民は極めて少ないためと考えられる。
 このことが、誤って「単一民族社会」という共同幻想さえ生み出してきたのであるが、日本社会の人種的均質性の高さは否めないため、ともすれば「日本社会に人種差別は存在しない」ということが事実上の公式見解となりがちである。
 しかし、本連載でも具体例を挙げて説明するように、人種差別は、日本社会にも一見それとはわからない形を取りながら存在している。とはいえ、目につきにくいため意識に上りづらく、ひいては差別問題全般に対して鈍感な社会意識が形成されやすい。果ては、「日本社会は差別のない平等社会である」というようなまことしやかな憶断にまで発展し、そうした“悪平等”を排してむしろ“差別化”を図ることが推奨されるような風潮すら生じてくるありさまである。

 そもそも、日本にはいまだに差別一般を禁止し、差別被害者の法的な救済を図る法制度が存在していないのだから、“悪平等”どころではないはずだ。そこで、政府としても、「人権擁護法」なるコンセプトのもと、差別に対する法的取り組みの姿勢を示そうとしているかに見える。しかし、これに対しては「表現の自由を侵害する」といった批判が強く、まだ法案成立の見通しは立っていない。
 たしかに、政府は「人権擁護」に名を借りて、報道機関等の言論活動にも権力的介入を辞さない構えをちらつかせるため、批判されてもやむを得ない面はある。一方で、同法案は差別禁止を「人権擁護」一般の中に吸収してしまい、正面から差別禁止を法の趣旨とすることを回避しようとしている点で、論点そらしの批判も免れない。こうした差別の法的救済をめぐる問題については、改めて本連載の中で検証していく。
 いずれにせよ、日本には実効性のある差別禁止法が欠如しているために、差別被害者が救済されないまま放置されてしまうことが多い。「日本社会には差別が存在しない」どころか、「日本社会では差別が野放しにされている」と言うほうが正確なのである。野放し状態だから、差別を差別と意識することもできず、「差別は存在しない」と錯覚されやすい。
 こうした錯覚の原因でもあり結果でもあるが、学校教育でも差別について明確に教えられることはないから、差別という「問題」に鈍感なまま成人し、子どもにも世代を超えて差別意識が継承されてしまうことになりやすい。
 しかし、1995年に日本政府も遅ればせながらいわゆる国連人種差別撤廃条約に加入して20年近い年月が経った今、そろそろ差別問題に本腰を入れるべき時ではないか。「日本人は差別愛好的である」などという差別的偏見を世界に蔓延させないためにも。

 本連載がタイトルとする〈反差別〉とは、差別を社会悪と認識したうえで、それを克服する努力をたゆみなく継続しているプロセスをいう。
 その目的に寄与するために、本連載は理論編と実践編の二つのパートを用意するが、メインは実践編にある。そこでは10個の代表的な差別問題(十大差別)ごとに、具体的な例題を通じて〈反差別〉の練習を積むことができるようになっている。例題の数は多くないが、特に典型的であるもの、応用的ではあるが一つの試金石となるものを厳選してある。
 これに対して、理論編は実践編に取り組むうえで前提となる差別一般に関する知識を総覧するためのパートである。ここでは、差別とは何かという差別の定義から始まって、学校における反差別教育のあり方に至るまでいくつかの重要事項を命題形式でまとめながら進めていく。言わば、練習の前の準備運動のようなものである。
 こうした本連載の試みが成功するかどうかはわからないが、類例がまだなかなか見当たらない限りでは一定の意義は存するものと思う。

 本連載は基本的に大人向けの「練習帳」であるが、同じような体裁で学校教材として使用できるようなテキストの開発も望まれる。そういうテキストで〈反差別〉を自然に実践できる子らが成人に達した暁には、本書の意義は失効するであろう。
 そのようにして、目的達成のゆえに―社会的無関心のゆえでなく―本連載の存在意義が消滅することこそ、実践編で取り上げる10個の問題群のうち少なくとも3つの領域で被差別当事者に該当し、同時に他のいくつかの領域では差別加害者となった経験もある著者の究極的な願いなのである。

2011年8月13日 (土)

世界歴史鳥瞰(連載第2回)

序論(続き)

三 物心複合史観

 鳥瞰的歴史観は世界歴史を平板な景色のように眺めるのでなく、文明化した人類の社会的活動の動態として把握するのであるが、その場合に歴史の動因を何に見るかということに関して一定の歴史哲学を持つのである。
 この点、半世紀前であれば、歴史の動因は物質的生産力にあり!と答えておけば「進歩的」と見えたのであるが、今日では「退歩的」と却下されかねない。たしかに今日、かかる唯物史観を公式的な形で信奉する人はほとんどいないであろう。しかし、ファッション感覚で時代遅れと却下するのでなく、唯物史観の問題点を内在的に批判しようとする試みは多くない。
 思うに、唯物史観の大きな問題点の一つは生産力発展の条件如何が究明されていないことである。実際、生産力発展の条件は何であろうか。
 これについてはいろいろの答えがあると思うが、最も明快なのは自然環境条件である。なかでも地理的条件は決定的である。
 例えば、農業も工業も山岳地帯や砂漠地帯では発達しない。それらは、基本的に平野部で発達する産業である。しかし砂漠地帯でも商業なら発達し得ることはアラビア半島や中央アジアの例が示している。一方、山岳地帯では交通・通信の限界から商業も発達せず小規模農牧業が主体となり、生産活動にとっては最も過酷な地理的条件である。その代わりにそうした環境下ではおおむね自給自足的な共同体が保存されやすいのである。
 こうした固定的な自然環境条件に加え、気候変動とか自然災害のような変動的ないし突発的な自然環境条件も複合的に作用するから、同じ平野部でも、例えば自然災害の多いところとそうでないところでは生産力の発達に格差が生じる。
 こういうわけで、唯物史観がどんなに努力しても世界中で普遍的に妥当するような経済発展法則などを抽出することはできず、むしろ一国内部での地域的な不均衡をも伴う不均等発展こそが「鉄則」でさえあるのである。そうであればこそ、古来人類は生産力の発展にとって不利な自国の条件を補完しようとよりよい条件を備える他国を侵略し領土化することを図ってきたのであった。
 唯物史観のもう一つの問題点は、自然環境条件によって制約された物質的生産力の発展それ自体は自然の恵みでない以上、いったい何によって促進されるのか、という生産力発展の究極的要因如何が解明されていないことである。
 これについてのここでの答えは「発明」によるというものである。ただし、ここで言う「発明」とは機械装置のような物質的発明そのものというよりは、そうした個々の発明の土台を成す効率的な生産方法の考案という精神的な「発明」のことである。
 例えば、産業革命を促進した動力を利用する各種機械はそれ以前に労働者を一箇所に集約して定型的な作業に当たらせるという新しい効率的な生産方法の「発明」を前提に、そうした作業をより効率化するための手段として発明されたものである。
 こうした精神的な「発明」はまた、政治制度のような純粋に精神的な所産の面にも及ぶのであって、例えば選挙された議員によって構成される議会制度は、その純粋型においては資本家を主体とするブルジョワ階級自身が生産様式を維持・発展させることに最もよく奉仕する政治制度として「発明」されたものである。
 こうした「発明」とはアイデアであり、精神であるから、「発明」に生産力発展の究極的要因を求めようとするならば、それはもはや単純な唯物史観の枠をはみ出すことになる。実際、「発明」という要素が生産力発展の究極的要因であるとすれば、物質的法則性ばかりでなく、偶然性とか幸運といった不確定的要素が歴史の動因として働く余地は大きいと考えられる。
 例えば、19世紀の英国、20世紀の米国が巨大な生産力の発展を示したことは、工業的発展の物質的土台となる良質な平野部を持つという条件に加えて、それぞれの発展を促進する「発明」が偶然にもまたは幸運にも両国で重なったことによると考えられるのである。
 とはいえ、ここで唯物史観と完全に縁を切って改めて観念論的反動に走ろうとするわけではない。ここで言う「発明=精神」とは例えばヘーゲルの抽象的な「絶対精神」のようなものとは大いに異なり、もっと具体的に限定された物質的生産力の発展を促すアイデア、言わば物質的精神である。そういう精神の作用の結果として、物質的生産力の発展が歴史を動かしていくのであるが、それは決して一律的な法則に基づくわけではないのである。
 結局、始めに戻って鳥瞰的歴史観が前提とする歴史哲学とは、歴史の動因としてこれを物質的生産力の発展を促進する「発明=精神」に求める発明史観、より抽象化して換言すれば物心複合史観であるということになろう。

四 人類社会の前半史と後半史

 マルクスは資本主義的生産様式を備える近代ブルジョワ社会をもって人類社会前半史の最後の社会構成体とみなしていた。人類の歴史を現時点よりもっと未来の時点に立ってとらえ返すと、現在は人類社会前半史の最中にあり、マラソンにたとえればまだ中間地点にはさしかかっていないことになる。
 この現時点をも含む人類社会前半史もすでに数千年という時間を持っているが、この間の一貫した特徴は、富の追求・蓄積を自己目的とするような、従ってまた商業が導きの糸となるような物質文明を基層としてきたことである。そして、その到達点に資本主義的生産様式とそれを軸に成立するブルジョワ社会体制があるというわけだ。この体制はこれまでに「発明」された先行のどんな体制よりも富の効率的な蓄積に適している点において「最終的」なのである。
 他方、それと並行しながら、国家という政治的単位で人間の集団化を図ることが人類社会前半史のもう一つの特徴である。これも権力という―究極的には戦争によって担保された―無形的な財の獲得・強化を目指す点で、やはり物質文明に根ざしており、その到達点に主権を戴く今日の国民国家体制があるのである。
 このように、富/権力を最高価値とするような物質文明を基層に成り立つ人類社会の前半史とは、所有すること(having)の歴史であり、そこでは富であれ権力であれ、もっと所有すること(more-having)、すなわち贅沢が歴史の目的となるのである。一方で、所有の歴史は、所有をめぐる種々の権益争いに絡む戦争と殺戮の歴史でもある。
 そういうわけで、所有の歴史にあっては持てる者と持たざる者との階級分裂は不可避であり、時代や国・地域ごとの形態差はあれ、何らかの形で階級制が発現せざるを得ないのである。それとともに、戦争・殺戮の多発から、戦士としての男性の優位が確立され、社会の主導権を男性が掌握する男権支配制が立ち現れる反面、女性や半女性化された男性同性愛者の抑圧は不可避となる。
 こうして現在も進行中である人類社会前半史は、多様な不均衡発展を示しながらも、ほぼ共通して男権支配的階級制の歴史として進行してきたと言える。従って、それはまた反面として、男権支配的階級制との闘争の歴史ともならざるを得なかった。古代ギリシャ・ローマの身分闘争、中世ヨーロッパや東アジアの農民反乱・一揆、近世ヨーロッパのブルジョワ革命、近現代の労働運動・社会主義革命、民族解放・独立運動、人種差別撤廃運動、女性解放運動、同性愛者解放運動等々は、各々力点の置き所に違いはあれ、そうした反・男権支配的階級制闘争の系譜に位置づけることができるものである。
 こうして現在は、マルクスが指摘したとおり、人類社会前半史の最終形態たる資本主義社会の中でもすでに晩期に入っているわけであるが、そこを通過した人類社会の後半史とはいったいどのようなものになるのであろうか。
 この問いはもはや歴史を超えた未来学に属する問題であるから本来は本連載の対象外であるが、あえて禁を破って筆者のいささか希望的な観測も交えて予測するとすれば、人類社会後半史は、所有の歴史に対して存在(being)の歴史となるであろう。それはもっと所有すること・贅沢ではなく、よりよく在ること(better-being)・充足が目的となるような歴史であり、従ってまた戦争と殺戮の歴史に代わって非戦と共生の歴史ともなるであろう。
 もっとも、そのような人類社会後半史にあっても人間社会を維持していくためには物質的生産活動は不可欠であるから、物質文明が完全に放棄されるようなことはあるまい。とはいえ、来たるべき新たな物質文明はもはや富の追求を第一義とするようなものではなくなるであろう。
 そのときにいかなる生産様式が「発明」されるか、ということに関しては歴史を主題とする本連載ではさしあたり空白として残しておかざるを得ない。

賢人は過去を、凡人は現在を、偉人は未来を語る。
―不肖筆者

2011年8月11日 (木)

世界歴史鳥瞰(連載第1回)

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。
―ナポレオン・ボナパルト

序論

一 世界歴史の始点と終点

 本連載で世界歴史といった場合の「世界」とは、単に地球全域の各地という地理的概念にとどまらず、そうした地球という場における人類の社会的活動の総体を指している。
 そういう「世界」の始点から終点までの過程が世界歴史であるが、その始まりとは、要するに文明の始まりである。
 人類は文明を持つ以前から交易や農耕あるいは戦争といった社会的活動を営んでいたことは確かであるが、それらは歴史という形で叙述できるものではなく、単に考古学的事実として記述することができるにとどまる。
 もっとも、文明とは何かということについては論者の数だけ説があると言ってよいが、本連載における文明の把握については第1章で述べるとして、ともかく文明が始まらないことには歴史も始まらないのである。
 しかも、そのような文明という営為は人類の中でも最も新しい現生人類(ホモ・サピエンス)だけが始めたのであり、それ以前の古い人類は文明という営為を持たなかったのであるから、世界歴史とは必然的に現生人類の歴史を意味することになる。
 それでは、そうした世界歴史の終点とはいったいいつのことであろうか。言い換えれば現代史とはどこまでをいうかという問いである。
 これはかなりの難問であって定説と言えるものはない。ただ、慣用的には四半世紀=25年を歴史における最小単位として扱うことが多いから、これを基準とするならば現時点から遡っておおむね25年程度以前をもって歴史の終点とみなすことは不合理でないだろう。
 そうすると、歴史の終点以後現時点までの25年前後の過程は同時代ということになるが、その間も時の経過は進行している以上、これを「同時代史」として把握することは可能である。
 この「同時代史」は厳密に言えば歴史ではなく現代社会論の対象ではあるが、それは現代史の延長部分として歴史ともリンクしているものであるから、本連載では末尾の補章で同時代史に相当する部分にも言及する。

二 鳥瞰的歴史観

 本連載は「世界歴史鳥瞰」と題しているように、世界歴史をまさに鳥のように俯瞰しようという一つの史観に基づいて叙述される。これを鳥瞰的歴史観(略して鳥瞰史観)と名づける。
 鳥瞰ということの意味は、特定の国や地域の歴史でなく世界の歴史を通覧的に把握すること、また個別的な事物・事象の歴史でなく人間の営為全般の歴史を総体として把握することである。
 このような歴史観は職業的歴史家の歴史観とは別のものである。なぜなら今日、専門分業化が進んだ職業的歴史家の歴史観とはすべて個別のものに関わる部分史観であるからである。部分史観とは縦割りまたは細切れの歴史観である。
 このうち縦割り史観の場合は、例えば日本史とかそのうちの大阪(坂)史等々のように、一国史/郷土史という形で発現する。これは最もオーソドックスな歴史叙述であると同時に、当然にもナショナリズムやプロヴィンシャリズム(郷土第一主義)と不可分に結びついた歴史叙述である。またそれは「木を見て森を見ない」史観でもある。
 しかも一国史/郷土史の内部が通常は時代区分ごとに古代史から現代史までさらに分節化されているから、先のたとえに従えば木の中でも古木だけを見たり、新木だけを見たりするという具合になる。
 一方、細切れ史観の場合は祭祀とか服飾、さらには心性といった細密な事物・事象の歴史を探求する社会史という形で発現する。これは「木も見ず枝葉を見る」史観であるが、近年縦割りの一国史/郷土史に代わって学術としての歴史の中では主流化しつつある。
 これらの部分史観はもちろん無価値なのではなく、それによって新たな歴史的発見がなされることも少なくないのであるから、むしろ大いに推進されるべきものなのである。
 これに対して、鳥瞰史観は部分史観の力も借りながら「森を見渡す」史観であって部分史観と対立するものではない。
 ただ、それは学校の世界史教科書のように世界各地の歴史を総花的・羅列的に紹介するだけの「教科書史観」ではなく、ある一定の歴史哲学に基づく歴史観である。従って、本連載も教科書や受験参考書代わりに利用することは全然推奨できないのである。

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